番外編 妄想屋


「知り合いのネギぼーずが話してくれたものです」
夜羽はそれだけ言うと、黙ってテープを再生させた。

「な、夜羽…僕は夢を見たんだ…」
ネギぼーずとやらの声がする。
「ほぅ…」
夜羽の声。興味の色が濃い。
そのあと、飲み物を何か飲む音がした。
「夜羽も出てきた」
「それでは出演料をいただかなくては…」
ネギぼーずが苦笑した。
「貧乏学生から何をせびるつもりだい?」
「冗談ですよ。とにかく…」
夜羽が続けた。
「その夢、聞かせていただけますか?」

「電車が通るところの下…都会のうちすてられたような場所…壁にはスプレーの落書きがあって、そこは暗かった…夜だったのかもしれない…」
ネギぼーずは夢の曖昧な記憶をたどっているようだった。
夜羽は黙っている。
「夜羽はいつもの格好で、鞄を持ってそこを歩いていた…」
「僕はそんな場所は通りませんよ…」
「僕の夢の話だよ…その夜羽に三人くらいのガラのよくない男達が声をかけてきた…」
「ふむ」
「男の一人が夜羽に声をかけた。『…が話した妄想のテープをよこせ』と。名前は聞き取れなかった」
「僕は客の名前なんか覚えていませんよ」
「夢の中の夜羽もそう言った。男のまた一人がいった『絞められる妄想の奴だ』と」
「絞められる…?あったかなぁ…」
「ないだろ?取り合えずリストにゃ載っていない…だろ?」
「ああ、そうでしたっけね…で、夢の中の僕は持っていたんですか?」
「持っていた。男に言われて思い当たった節があったらしく、鞄の中をごそごそして、テープを取り出した…」
「ふむ…僕はテープを取り出しました。そのあとどうしたんですか?」
「夢の中の夜羽は言った。『この妄想【見ますか】?』と…」
ネギぼーずが少し黙った。
バーの室内の音はあまり聞き取れない。
足音も音楽も聞こえない。
この日はたまたま客がいないか少ないかだったのだろう。

「夢の中とは言え、妙な事を口走りますね…」
「夢はそれで終わりじゃなかった」
「まだ続きがありますか」
ネギぼーずは肯定して話し出した。
「男はそれをよこせと言ってきた。夜羽は妄想を見るか否かを聞いた…そして、男達は『見る』と答えた…」
「ふむ…」
「夜羽はレコーダーも何も出さずに、『では再生を始めましょう』といった…そして夜羽は、おもむろにカセットテープのその、テープをカセットテープから指をかけて取り出したんだ…シュルシュルという音がした、カセットはアスファルトの上に落ちた。そして、テープは宙に舞った…」
夜羽は黙っていた。
「宙を舞うこげ茶色のテープから、やがて…再生が始った…初老の男がテープから幻のように現れ…『絞められる、絞められる締めて殺される!』と、喚きながら辺りを走り回った…」
ネギぼーずはさらに続ける。
「三人の男たちは驚いていた。夜羽だけがテープをまとったまま、初老の男の幻を見ていた…やがて、初老の男の幻が、喚きながら男の内の一人のからだをすり抜けていった…」
「どうなりました?」
「すり抜けられた男も、『絞められる』妄想に取り付かれて辺りを走り回った…やがてあとの二人も、幻にすり抜けられて、『絞められる』妄想に取り付かれた…『絞められるなら絞められる前に絞めてやればいい』と男たちは互いの首を絞め始めていた…」
「僕は、どうしていましたか?」
「男たちが乱闘騒ぎになったのを見ると、落ちていたカセットを拾い、上に放り投げた。テープが意志を持つように巻き戻っていった。初老の男の幻もテープと一緒に戻っていった…」
「ふぅん…」
「『これだから妄想はレコーダーを通すんですよ…』と、夜羽は言って、その場を去っていった…と。これが僕の夢の顛末だ」
「なるほど。どうもありがとう」
拍手が一つ鳴っていた。

そして、興味深げなネギぼーずの声がした。
「な、夜羽…ひとつ実験していいか?」
「なんの実験です?」
「妄想のカセットテープからテープだけを取り出したらどうなるかな…なんてね」
「そんな!妄想テープが使い物にならなくなっちゃいますよ!」
夜羽が慌てて言った。
「とにかく、夢と現実を混同してはいけません。電網のやり過ぎじゃないんですか?」
「…それはあるかも…」
「夢見る子供は現実に発狂します。夢を見るのも程々にして…」
「夢がなきゃ、妄想屋、やってけないじゃんか…」
「妄想屋は妄想があればいいんです」
「そんなもんかねぇ…」
「そんなものです」
夜羽は妙にきっぱりと言い放ち、テープの録音をここで止めた。

「だめですよ。妄想テープのテープだけ取り出そうなんて考えちゃ…ことと場合によっては営業妨害で訴えますからね…」
夜羽は無理して怖い感じをだそうとしているらしかった。
「ネギぼーずさんも、妙な夢見るから…やっぱり出演料取っておけばよかった…」
夜羽はブツブツと言った。
テープはレコーダーの中で静かに巻き戻しをされていた。


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