テープ05 咽喉


なかなか話してくれないので
この話を聞くのには苦労しました…
そう、夜羽は前置きをした。

テープを再生すると、延々と続く夜羽の説得。
そして、無言の客。
夜羽の声に少し諦めの色が混じった
「まぁ、これでも飲んで…」
なかば投げやりに、何か飲み物をすすめる。
飲み物で咽喉を鳴らす音
そして客は話しはじめた。
「私は、咽喉に、言葉が、こびりついています…」
たどたどしく、それでもはっきりとした口調だった。

「成程、言葉が咽喉にこびりついていて、声として機能しないのですね」
「はい」
「今は話せますか?」
「はい、さっきのレモネードで、こびりついていた言葉、は、みんな流してしまいました」
「どんな言葉がこびりつくのですか?」
「本当にいいたいこと。言ったら私が悪者になるようなこと。言ったら傷つくこと。その他もろもろです」
客は少し話しやすくなったようだ。
「言葉がこびりつくと、具体的にどのようになりますか?」
少しの間。客がええと…と考えている。
「ええと、まず、言葉が溜まり溜まって物質化します」
「音ではなく、物質に、ね…」
「はい、そしてこれらはどちらかというと粘性の物で、私の咽喉にこびりつきます」
「…水道管の水垢みたいな物かな?」
「近いかもしれません」
再び飲み物で咽喉を鳴らす音。
夜羽は飲み物をもう一杯追加した。

「こびりついた声は、どうすれば処理できるのですか?」
夜羽は尋ねる
「飲み物を飲むこと、また、逆に嘔吐すること」
「こびりついた言葉の内容を話すことではなく?」
「はい。物質化してしまうと、もう、手遅れなんです。物質として飲み込むか、吐き出すかしか、手段がないんです」
飲み物で咽喉を鳴らす音
「今のもそうですか?」
「はい。これで言葉たちは消化されます」

「最初に、こびりつく言葉の種類を挙げていただきましたよね。ええと、言ったら傷つくとか…自分が悪者になるとか…」
「はい」
「その内容から察するに、自分の周囲のために言葉をこびりつかせているかと察します。どうでしょう?」
「そう…ですね。そうかもしれません」
「なんだか誘導しているみたいですね」
「いえ、誘導されなくても、そういう節はあります」
「ではそれを前提としますが…あなたは、言葉をこびりつかせて後悔したことはありますか?」
客は何か話そうとしている
しかし、それは言葉にならずに「ああ…うう…」という
うめきになるだけだった
客は追加された3杯目のグラスを空けた。
「あるんですね。後悔したことが」
夜羽は容赦ない。
「はい…一度だけ、後悔を…しました」
途切れ途切れに、消え入りそうに客は答えた。

「聞きたいですね。その、後悔も」
「妄想と呼べるかどうか…わかりませんけど」
「内容はあとで判別します。どうぞ」
客は一つ溜息をついた。
浅い沈黙
「あれが現実だったのかどうか…私は卒業以来ずっと想っていた人に、町中ですれ違いましたの」
たぶん客は遠くを見ている
「白く高い空と、雑踏に消えていく彼が印象的でした」
「あなたは…」
「その時に、言葉が咽喉にこびりついてしまったのです。『あの…』も『○○さん?』という言葉も全て」
「何も言えなかったのですね」
「ええ…でも、変わっていなかった。卒業の時から…」

夜羽はアルコールを注文した
「あら、アルコールなんて…」
「僕からの手向けです。次会えた時に咽喉が言葉を捕まえないように、捕まえるべきものを捕まえるように」
「…ありがとう」
「では、テープはここで止めますね」
録音はここで終了していた。

咽喉も妄想なのだろうが
想い人も妄想なのかもしれない。
どのみち、僕にとっては他人の話はみんな妄想なのだから関係ない。
テープを停止して、夜羽はそう締めくくった。


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