テープ06 鏡


夜羽はいつものようにテープを再生する。
多分いつものように、だ。
しかし、いつも少し笑っているような気がする。
そこからが妄想なのかもしれない。

テープは静かに再生する。
男性の声がする
「え?じゃあここは、カウンセリングするわけじゃないんですね」
「ええ、ここは人の妄想を聞くところであって、人の心を癒す場所じゃないんです。精神科の番号は…」
「いいえ、妄想を聞くところならその方がいいです」
男は続けてこう言った。
「あれが現実だとは思いたくないんです」

「ほう…現実と思いたくないもの?興味深いですね」
「みんな最初はそう言うんです。でも、話が終わるとそれは妄想だ…と」
「それを聞くのが私の仕事です。さ、話してください」
沈黙。多分、迷い・決意。
そして発言。
「…鏡に別人が映るんだ…」

「幽霊とかですか?」
至極普通の回答を夜羽は言ってみた。
「いや違う、あれは俺…ちがう、『あれ』は俺なんかじゃない!」
「鏡に映るのが自分の双子だという妄想なら、どこかで聞きましたが…それ系ですか?」
「違う、鏡の中に人間なんていない。でも、『その時』は俺じゃない誰かが映っていたんだ」
傍から聞けば支離滅裂だが、多分、男は自分の中で筋の通ったことを話している。
「俺じゃない誰かが…いたんだ…」
声色に浮かんだのは恐怖なのかもしれない。

「では、少しその前後の話も聞きましょう。あなたはどうして鏡をのぞきましたか?」
「…いつものように…顔洗って…歯磨きして…」
男が記憶をたどる
「…多分そのあと…自分がどんな角度からが一番良く見えるかを見ていたのかもしれない…」
「いろんな表情をしてみて…」
「そうそう、笑ったり、しかめっ面をしてみたり…そして俺が意識をせずに鏡をふとのぞいた時…」
「『それ』があったのですね」
「そこに俺はいなくて、俺じゃない『俺』が嗤っていたんだ…」
「どんな笑い顔」でしたか?
男の声に震えが混じる。
「悪魔のような…悪意の笑いだった…他の存在が恐怖に陥ることを好む笑いだった…」
「あなたの顔がそんな風に…」
「違う!」
男は強く否定。
「あれは俺じゃない!俺はあんな顔なんてしない!俺はあんな側面を持っていない!」
そして、深い沈黙が支配した

「あなたは…」
この声は夜羽だ
「あなたは『それ』が写された鏡自体は、どのように思っていますか?」
男が少し唸った。
「自分の姿に限り無く近い映像を、手っ取り早く見る道具…」
「でも…あなたでないものが映った…鏡はもしかしてうそつきですか?」
「鏡は…忠実に再現をする…うそは…」
「鏡の忠実性をとるならばあなたは悪意の側面を持ち、悪意の側面を否定すれば鏡はうそつきになる」
どっちがあなたにとっての真実ですか?と、夜羽は問い掛けた。
男は答えを出せないようだった

「鏡には俺が映る…いつも…俺が映る…」
男はうわごとのように繰り返した。
「鏡には現実が映る…」
「そう…でも、映像は『虚』です」
「あれは現実…いや、現実なんかじゃない…現実にしちゃいけない…でも、鏡は…」
合わせ鏡の映像のようなうわごと
夜羽はそれを聞いて諦めたのか、録音はここで止まっていた。

結局その男には精神科の電話番号を教えた、と夜羽は言った。
「カウンセリング云々ではなく、安定剤が必要かもしれない感じでしたからね」
テープは巻き戻しに入っている
「しかし、鏡が現実を映す、とは。また、愉快な妄想ですよねぇ」
そう言って、夜羽は笑った。


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