テープ07 母親


「眼球は聞いたかい?」
夜羽は聞き手に尋ねる。
「これも母親をしたう子供の妄想だ」
そういって夜羽はテープを再生した。

「スプリッツァを。あなたは?」
テープから流れる夜羽の声。
「キールをください」
中性的な男性の声。
「食事がまだでしたか、何かオーダーしますか?」
「いえ、カシスが好きなだけなんです。お構いなく」
間があり、卓上に何かが置かれる音が2回。
そして夜羽が口を開く。
「さて、あなたの妄想を話していただきましょう」

「僕の母親が何人もいるんです…」
青年はそう、切り出した。
夜羽はまず、常識的に聞き返す。
「別人が何人も?それとも、コピーのように?」
「どっちも近くて違います。別の性格の同じ母がいるんです」
夜羽は自分の中で『それ』を理解しようとしている。
「どうしてそう思うことになったのか、そのきっかけを聞かせてください」
「はい…あれは…」
途切れる。
「あれは僕が病気で学校を休んだときのことでした」
「続けて」
「僕は熱でうかされて自室の床に就いていました…夢ともうつつともつかない僕のところへ母が来ました…」
「あなたの部屋に入ってきたんですね」
「その母は鬼のようで…この程度で休むな!甘えるな!と、散々まくしたてました。そして、その母が僕の部屋を出て行くのと同時に、僕は覚めました」
「鬼のような母親は妄想だったんですね」
「かもしれません。でも、覚めた後にまた、同じように母が部屋に入ってきたのです」

「リフレイン?」
「音楽ならば変奏曲ですね。この母は過剰なまでに優しく、たくさんの言葉で僕を包むと、部屋を出て行き、僕はまたそこで覚醒するのです」
「それが何度も繰り返された…」
「3〜4回くらいです。覚えているのは。本当はもっと繰り返されているのかもしれません」

「今君がここにいるのは…」
夜羽の声
「母親のループが途切れたからだと推測しますが、最後の母親のイメージはどんなものだったか、聞かせてくれませんか?」
青年の沈黙。
そして発言。
「母は一緒に泣いてくれました。辛い事を代わってやりたい、いつも一緒にいる、と。その母と会話をした後、僕は母と一緒に部屋を出ました。それからはずっとループは起こらずに今にいたります」
「君にとって、母親は何だと思いますか?」
「今僕が確認している母親は…母親というものの一例。僕は母親の何例も見た…多分僕はあの夢うつつの中で、僕の母親を選択したのかもしれないです」
「選択…?」

青年は続ける
「僕の母親であるべき母親とだけ、僕は会話したんです。その他の母親群は僕の母親ではなかったのです」
「では、『子は親を選べない』をその時にくつがえしたのですね」
「なんでそうなったのか、その理由はつけられないし、『それ』以前の母親はどうだったのか、も、説明のつけようがないです。でも、あの時、僕は多分母親を選んだんです」
「では…君にとって母親とは?」
「家族という同じ立場に立って、僕の一番近くにいる人。決して僕よりも上でも下でもない。僕を産み・育てたことは尊敬に値するけれど、立場は一緒。今はそういうこと…だとおもいます」

青年がすっかりぬるくなったキールに難色を示したらしい
多分夜羽のスプリッツァもすっかり気が抜けているだろう。
このあと少しのやり取りがあり、録音は終わっていた。

夜羽が溜息
「なんだか聞き返しても、妄想とは言い難い妄想だったなぁ…」
夜羽はテープ再生中にオーダーしておいたスプリッツァを飲んでいる。
「ま、いいか。テープが潤うにこしたことはない」
スプリッツァを飲み干し…夜羽はテープを停止させた。


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