テープ09 瞬間


「これは『瞬間』に、妄想を見出した男の話…」
静かに夜羽は前置きをし、
古臭いテープレコーダーの再生ボタンを押した。

「これ…録音をしているんですか…」
年齢不詳の男の声、
「はい、録音されています。では…?」
夜羽の語尾が疑問調になる。
男の笑う声、おしころしている。
「くっくっく…そう、そうなんですね…『これ』も同じなんだ…『瞬間』を長くとっているだけなんだ…」
「瞬間を…ですか?」
「そう、妄想の瞬間をこいつは記録しているんだ…俺のあれとおなじように…」

男は写真家だと自己紹介をした。
「私は瞬間を捕らえるのが職業みたいなものなんですよ。輝く瞬間、目を背けたくなる瞬間、いろいろとね」
「でも…」
少し夜羽は考える。
「写真で妄想はとれますか?加工するならともかく…」
男は笑ったらしい。
「撮れるんですよ。妄想の『瞬間』が…」

夜羽は重ねて問う。
「では、妄想を写真で捉えた瞬間はどんな感じになるのか、聞かせていただけますか?」
男が唸る。表現する言葉をさがしているらしい。
「私は無学ですから、表現する言葉を知りませんけど…被写体からこう思考みたいなのまで、レンズが焼き付けているみたいな…写真を見れば、その『瞬間』に被写体が考えていた妄想が、読めるんですよ」
「では、今現在、私の思考も読めますか?」
「いえいえ…だめなんですよ。私がわかるのは『瞬間』だけなんです」
「瞬間だけ、あなたはとらえられる。というわけですね」
男は肯定した。

しばらくの間がある。そして男が低く話し出す。
「でも…カメラと同じように…『瞬間』は、焼き付くんですよ…」
「焼き付く、といいますと?」
「被写体から流れ出た妄想の『瞬間』が、私の記憶に張り付いて、消えないんですよ…」
きっと夜羽は微笑んだ。
「今はどんな被写体の妄想が張り付いていますか?」
ゆっくりと、低く、響く声。
そして、男は脳の中をさがしているのだろう。唸っているような声がする。

間を置き、男が話し出した。
「赤ん坊がいるんだ…ゴムみたいなオレンジ色の赤ん坊が…何匹も何匹も…右から左へ…列をなして…凄い速度で這っていくんだ…」
「それはどんな被写体から得た妄想ですか?」
「これは…誰だ?誰の妄想だ?…だれなんだっ!俺の頭の中で這い回るのは!」
「落ち着いて…この妄想は…どの『瞬間』から得ましたか…?」
夜羽は問いかける。
「…娘が…ソファーにいるんだ…何気なくとった…その『瞬間』に…これは、これは、娘の妄想なんだっ!」
「這い回る赤ん坊は、娘さんの妄想ですか…」
「ああそうだ、それしかない。娘の妄想が撮った『瞬間』に私の脳に焼き付いてしまったのだっ!」
男は高らかに宣言した。

沈黙が降りた。

「でも…写真家という職業柄、そう度々『瞬間』の妄想が焼き付いたのでは、たまらないでしょう」
問い掛ける声は夜羽。
「いや、こんなに激しい妄想ははじめてなので、びっくりしているのですよ。いつもは他愛のないものなのですがねぇ…いや、娘がこんな妄想を持っているとは思いませんでした…」
「今日は『娘さんの妄想』をお聞かせいただき、ありがとうございました」
「いえいえ…あなたも職業柄『焼き付く』事がないよう、注意にこした事はないでしょう」
夜羽は反論をした。
「いえ、僕は焼き付くことがないよう、いつも…濃度の高い妄想を持ち歩いているのですよ」
そうですか、と、男は席を立ち、
テープはそこで録音を止めた。

「この話が、複合した妄想かどうかは、別に僕も問わない。全部妄想だって生きていけないことはないし、この場合は迷惑じゃないしね」
夜羽は腕を組み、テープの巻き戻しを待っている。
「僕の濃度の高い妄想…?聞きたいかい?…いや、まだその時じゃないな。いつか聞かせてあげるよ」
巻き戻し音がやみ、テープは停止する。
「いつか…ここの月がきれいな夜に、話してあげるよ」
夜羽はそう、締めくくりをした。


妄想屋に戻る