テープ14 中身


「このテープを録音した頃かな?このバーが模様替えしたのは」
前置きをしながら夜羽は再生の準備をする。
「ちょっと暗い色調の壁紙になったけど、今回の妄想は暗がりがはじまりの妄想…」
夜羽のきれいな指が再生のスイッチを押した。

「あ…いい感じのお店ですね…」
客の声
「いい感じだってさ、良かったね、マスター」
夜羽がマスターに声をかける。
マスターからの返事はない。
「いつもこうなんだ。無口で無愛想で、さ」
「そうですか…でも、いい感じですよ…暗くて…静かで…」
「そういう環境がお好みですか?」
「好きですね、闇はものを見えなくしてくれますから…特に…」
「特に?」
「何もかも美醜に関わらず溶け込むのがいいですね…」
客は続ける。
「そして、見えないからこそ、中身の性質は際立つんですよ…」

見えていてはいけないのか、と、夜羽は訊ねる。
そして客は答える。
「要は想像力の問題ですよ。見えないからこそ、人はその中身に自分の求めるものを見出したりするのですよ。たとえば…あの花瓶の中に、水の精霊がいる、とか…」
「詩的ですね」
「ええ…よく言われます…でも、中身を暴いてしまっては、そこにはただの花瓶の水があるばかり…」
「あるべき姿に戻る?」
「いえ、その姿に限定されてしまうのですよ。暴かれることによって…」
客は少し悲しそうに語った。

「中身は暴かれないこそ美しく、中身は暴かれないから魅力的である…」
歌うように客は語る。
「わからないから、素敵、だと…」
「そうですね、私たちお互いの素性も、わからないから何だか素敵なんですよ」
「私達の中身が知れていない…」
「そうそう…しかし…」
客はここで言葉を区切った。
「しかし、私は私の中身すら理解していない…」
多分客は、口をつぐみ、虚空を見ている。

「人の中身は内臓や神経がたくさん詰まっているものと思いますが?」
夜羽が話題を振ってみる。
「それを自分のものだと確認する術はありますか?」
客が返す。
「腹を裂けばよろしいでしょう」
夜羽はさらりと言い放つ。
「痛みにもがく中で、自分の中身を確認など出来るはずもありません…悶え死ぬのが落ちです…」
「確かに…脳にいたっては自分の目で確認するのは不可ですしね…」
「誰かの脳を見たとして、それが自分もそうであるとは言い切れない。自分の中身も同じであるとは限らないんだ!自分の自分の中には…」
「あなたの『中身』は?」
夜羽が低く聞いた。
「腐った液体がパンパンに入っているんだ…僕は腐った革袋…」
そこで沈黙が降りた。

夜羽が沈黙を破った。
「では、腐った液体と腐った革袋で、どうして形を保っていられるのですか?」
「それは…革袋がそういう形なだけ、革袋が破れれば、たちまち僕は形を失うに違いない…」
「あなたの『中身』は腐った液体だけだ、と」
「今は暴かれていないから、僕はみんなと一緒に生活が出来る、でも、僕の中身が暴かれるとき、そのときは…そのときは…」
「しかし、あなたはまだ自分の中身を確認していない、暴かれた後を考えるのは、少々早急に過ぎませんか?」
「私はわかっていない、しかし私には予感があるんです。腐った液体が私の『中身』だ、という…」
「何故そう予感できるのですか?」
「私の容姿が…醜いからですよ」
至極悲しそうに客は呟いた。

「確かに私も言いましたが、外見から中身を判別することは出来ません、しかし、外見も中身を判別するための『手がかり』である事は確かなのです…」
夜羽は黙っている。
「私は醜い…醜いものには、醜い中身がふさわしいのかもしれませんね…」
「そして…」
夜羽が口を挟む。
「あなたはあなたの予感がすべてでないことも知っている…あなたはまだ、自分の『中身』を見ていない…」
少しの、間。
「わからないからこそ魅力を感じ、わからないからこそ嫌悪する…」
「わからなくてもそれでいい。僕はそれでいいと思いますよ。無理矢理自分の『中身』を醜くしなくても、ね」
客が溜息を吐いた。
夜羽は言葉を続ける。
「見えないから、美醜を隠してくれるから。この暗がりは居心地が良いんですよ。気が向いたらまたどうぞ」
客は黙って席を立ったようだった。

テープはここで止まっていた。


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