テープ17 鼻


「この世の中には色々なものがある…」
夜羽が切り出した
「必要とされるものされないもの…」
前置きとも、独り言ともつかない言葉を紡ぎ、
夜羽はテープの再生をはじめた

静かにテープは流れ、
婦人らしい音声を再生はじめた。
「やっぱり、これは必要ないと思いますの」
夜羽の声が続く
「それでも…やはり、ある以上致し方ないのでは?」
「いいえ、こんなものが顔にあるなんて、許せないことですわ!」
婦人の声が荒っぽくなった。
「大体これは、生きるとして全く無意味だと私は思いますのよ!なのに、うちの人ったらそれは妄想だなんて…悔しいったらありゃしない!」
典型的なヒステリーだろう。
それでも落ち着いて、夜羽は訊ねる。
「では、何か不必要なのか、具体的に話していってください…」
「あらいやだ、あたしったらすっかり取り乱して…」
婦人は小さく咳払いを一つ。
そして話しはじめた。
「私『鼻』は不必要だと思いますの」

「鼻は嗅覚を感じる場所、不必要ですか?」
「ええ、不必要です」
さも当然と婦人は返す
「そもそも、嗅覚は動物のような下等生物にのみ必要なもの、高等生物たる人間には、不必要ですわ」
「でも、世間にはアロマテラピーなるものも出回っていますが…」
「アロマテラピー?はっ!」
婦人は鼻で笑った。下らない、と。
「あんなものは思い込みにすぎませんわ。本当の心の安らぎは別の感覚に求めるべきですわ。嗅覚なんていう『鼻』を使った、下賎な感覚ではなく…もっと高尚な感覚に…」
「何故、嗅覚は下品ですか?」
あら?わからないの?と婦人は返す。
「下賎な輩ほど、『鼻』が利くものですわ」
「なるほど」
夜羽は一応納得して見せたようだ。

婦人は更に続けた
「私、『鼻』の形状も嫌いなんですの。あの醜い形が顔の中心に座っているなんて…」
「醜い、ですか?」
「ええ!」
ことさらに強調して肯定する。
「あの鼻の穴、鼻先、内部の鼻毛、放っておくと脂ばかりのその表面…どれをとっても良いところがありませんわ」
夜羽は考え込んだ。
かまわず婦人は続ける。
「少し鼻が目立つと、他人は私の容貌を『鼻が…』で表現しようとするのよ!」
「確かに、顔のパーツは少しでも目立つと、他人の目に留まりやすくなりますが…」
「あんな低俗な器官で私のことを言わないでほしいのよ!」
婦人は再びイライラし始めた様だ
夜羽はゆっくりと言葉を紡いだ
「それで…あなたは『鼻』を削いだのですね…」

「そう、私はこんな低俗な器官を削いで、もっと高尚な人間になりたかった!」
「しかし誰もがあなたの『鼻』を見る…」
「『その鼻どうしたんですか?』『事故ですか?鼻がひどいですね…』もう、聞き飽きたわ!」
すぐ近くでガラスの割れる音がした。
婦人のヒステリーでグラスか何かが割れたらしい。
「だからそのように、いつも鼻を隠しているのですね」
「そう…この布で覆っていないと…うるさいのよ…」
「他人が?」
「家族もよ」
突き放すように婦人は言い放った

「家族も理解してくれないんですね」
「理解しようと努力はしたみたい、でも、結局理解することはなかったわ…」
「今まで理解してくれた人は?」
少しの沈黙があった
婦人が首を横に振ったらしい、ネックレス同士が擦れた音がした。
「そうですか…」
「いいのよ、私のような高尚な人間の考えなんて、誰も理解してくれるはずがないのだから…」
「誰も…」
「私が自分で鼻を切り落としたあの時も…」
再び沈黙

そして夜羽が切り出した。
「では…最後にあなたの覆っている『鼻』を見せていただけますか?」
布のすれる音がして、
テープはここで終わっていた。

「僕が彼女の鼻を見た率直な感想だけどね…」
テープは巻き戻しをされている最中だ
「あれは『豚の鼻』によく似ていたね…削ぎ落として、穴だけが残っているんだ…」
巻き戻しが終わり、テープは停止された。
「あ、今のこと、僕が言ったということ、内緒だよ」
夜羽は唇に人差し指を当てて、そう言った。


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