テープ18 秋桜


「これは秋桜の季節に録音したものなんだ…」
テープをセットし、夜羽は続けた。
「咲き乱れる『秋桜』…コスモス…」
古風なレコーダーに夜羽の指が乗り、再生ボタンが押された。
「あの日、このテーブルの花瓶にも、秋桜が一輪、飾ってあったんだ…」

テープから聞こえ出したのは若い感じの男の声。
「秋桜ですね…」
そして夜羽の声
「時期ですからね、もらいものをいけてもらったんですよ」
男は少し秋桜を眺めて黙っていたらしい。
「秋桜って…儚げですよね…」
「弱々しくて?」
「何だか…一人では生きていけないような…」
多分、男は一輪だけいけてある秋桜を眺めている。
「でも、秋桜はたくさんあると…とたんに性格が変わります…」
「ほう…」
夜羽の声に興味が宿った。
「その時はどんな『秋桜』になりますか…?」
少しの沈黙、そして紡ぎだされた男の声。
「罪をも飲み込む…空間の…華…」
男はそれだけ言った。

夜羽は感覚を捉えようとしている。
「罪を飲み込む、とは?」
「『秋桜』の中では、すべてが許されるんです。小さな子供の悪戯も、過ちも…」
「『秋桜』で?」
「そう、咲き乱れる無限の『秋桜』の中では、何だか…すべてが許される空間なんです」
夜羽はまた少し考え込む。
「…ではその許される、とは、『罪を赦す』?それとも、『こういった行動を許可する』?」
男は自分のイメージの中を模索しているらしい。
「罪…を赦す…多分…そちらでしょう」

夜羽は訊ねた。
「『秋桜』の中ではどんな罪も赦されるのですか?」
男は答えた。
「ええ…罪は無数の『秋桜』に囲まれて…霞んでしまい、やがてそれは赦されるのです」
「『秋桜』が罪を癒す…いえ、飲み込むんでしたね…」
「そうですね…癒すことに似てはいますけれど…無数の『秋桜』が…飲み込んでしまって…結果的にすべてが赦されるんですね…」
夜羽は少し考え、そしてゆっくりと訊ねた。
「何故あなたは『秋桜』にそのような力があると思ったのですか?」

男はしばらく黙っている
夜羽は続けて訊ねる。
「あなたがこの様な考えを持つに至ったきっかけがあるはずです。それを聞かせてほしいのです」
まだしばらく男は黙っていたが、やがて、ぽつりぽつりと話し出した。
「僕は『秋桜』の中に…見たんです…罪を…」
「罪?どのようなものでしたか?」
沈黙が降りた。
意を決したように、男は話し出した。
「その時、咲き乱れる『秋桜』とても非現実の空間でした…」

男は続けた。
「その咲き乱れる無数の『秋桜』の中に女性がいました…黒とも緑ともつかない長い髪をした…女性が…赤い…薄い…ぼろぼろのドレスを着て…一人、立っていたんです…」
「『秋桜』の中で?」
夜羽の問いは男の耳に届いていない。
「そう、一人、立っていたんです…左手には…きらきら光る血まみれの刃物…そして…右手には…右手には…」
夜羽は落ち着けるかのように、ゆっくりと言葉をかけた。
「彼女の右手には、何があったのですか?」
少し震えたような声で、男は必死に言葉を紡いだ。
「首が…まだ血の滴る首が…男の首が…髪を持たれて…だらんと下がっていて…首だけが…彼女に…」
男はそれだけが精いっぱいだったようで、また、黙ってしまった。

沈黙が降り、やがて夜羽が話し出した。
「それがあなたの見た罪ならば、その罪…女性は、『秋桜』の中で、どうなったのですか?」
男は答えた。
「彼女は『秋桜』の中で…一つだけ涙を流しました。そして、無数の『秋桜』にかこまれて…飲み込まれて…霞んで…やがて消えてしまいました…」
「彼女は、消えてしまったのですね」
「はい、彼女は僕の見た幻だったのかもしれないと思いました…でも…」
男は言葉を区切った。
「でも、幻にしては…すべてが鮮明なのです…もしかしたらやがて…」
「やがて?」
「この僕の見た罪の記憶も…いつか『秋桜』に飲み込まれてしまうのかもしれませんね…」
男は再び、卓上の花瓶に飾られた一輪だけの秋桜を見ているのかもしれない。
その場を、沈黙が支配した。
テープはそこで終わっていた。

「華に妄想を抱く例は少なくないけど…『秋桜』とはまた風流だね…」
いつのまにか、夜羽はテープの巻き戻しをはじめていた。
「『秋桜』…コスモス…コスモスという単語には、宇宙という意味もあったような気がします…」
巻き戻し…やがて停止。
「宇宙なら、すべてを飲み込んでしまえるでしょうね…小さな人間の強さも弱さもすべて…」
独り言のように夜羽は呟き、『秋桜』の妄想を締めくくった。


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