テープ23 腕


「奇形とかでなければ、誰も『腕』を持っている…」
テープがセットされた。
「これは『腕』にまつわる妄想…」
再生のボタンがガチャッと音をたててへこんだ。
テープはさらさらと流れ出した。

「…僕の左腕は…普通にみえますか?」
客の声。気弱な…中性的な声といったところだろうか。
「普通にみえますね。瘤だのなんだのはみあたりませんよ。」
こちらは夜羽の声だ。
「そうですか…本当に?」
「ええ、僕の眼が他の人と同じ見解を見ているとは限りませんが、とりあえず普通に見えますよ」
やたら小難しくしているが、要は「普通だ」と夜羽は言っている。
「…でも…」
客は声を途切れさせた。
「僕はこの『腕』を切り落としてしまいたいんです…」
「ほう…」
夜羽がそう答え、しばらく沈黙が降りた。

やがて夜羽が切り出す。
「何故、切り落としてしまいたいのですか?」
客は答える。
「『腕』があると…面倒なんです」
「ない方が面倒な気がしますが…」
「いえ、あると面倒なんです。しかも、利き腕でない方の『腕』が…」
「では聞きましょう。なぜ、『腕』があると面倒なのですか?」
夜羽が問う。
客は言葉を選んで答える。
「両腕あると、『出来ること』や『しなければならないこと』が多くて…面倒なんですよ…」
「ふーむ…」
理解しようと夜羽は唸って、ちょっとの間、沈黙が降りた。

やがて夜羽はぼやいた。
「なんだか、『…をなくしたい』っていう妄想って、前も聞いたような気がするなぁ…」
「腕ですか?」
「いや。別の器官なんだけどね。理由も別だし…」
「やっぱり、身体のどこかをなくしたいという妄想を持っているのは僕だけじゃないんですね」
客はなんかちょっと安心したような声を出した。
「その人と君とは、決定的に違うところがあるんだ。その人はその器官を既になくしてからここに来た。君はまだなくしていない。その『腕』を…切り落としていない」
客は黙った。
「面倒なことが多いからと、切り落とすにはもったいない?」
夜羽が問う。
客はしばらく黙っていたが、やがて答えた。
「いえ…痛いのが嫌いなんです。痛みなく切り落とせるならば、僕は既に切り落として現れたでしょう…」
「痛いのが…ねぇ…」
「僕は面倒なことから楽になりたいんです。でも、痛いのも嫌なんです」
「なんともはや…」
夜羽は続ける言葉を飲み込んだらしい。
そして双方黙った。

「僕は…」
客が唐突に切り出した。
「『出来るから…しなければならない』ことが多くて、すごく、嫌なんです。だから、『腕』をなくして、『出来ること』を可能な限り減らして、僕のやりたいようにしたいんです」
「でも、『腕』を切り落としたら、君のやりたいことも出来なくなってしまうような気がしますけど?」
「大丈夫ですよ」
客はやけにきっぱりと言い放った。
「僕が『出来る』から、みんな僕に『しなければならない』を押し付けて来る。僕が『出来ない』あるいは『痛々しい姿』ならば、誰も僕に何も押し付けない。僕だけの時間。僕のしたいことが出来る時間が作れるんです。両腕なくても、片手でどうにかなりますよ…」
「なるほど…憐憫の情に訴えるわけですね」
「そういう事になりますかね」
客は少し笑った。

テープはここで一度途切れていた。
「これはもう一つ。『腕』に関する短い妄想…」
途切れている間に、夜羽が口を挟んだ。
再び、テープから人の声が再生された。

女性の声。
「私は『腕』を探しています…」
「あなたには両腕が揃っているようですが?」
「いえ…」
客は言葉を一度途切れさせて続けた。
「その『腕』の中では全てが許されるんです。私が私である場所。私がいつかたどり着くべき場所…」
「まるで…『楽園』か何かですね」
「そうですね…私の、私だけの『楽園』…その『腕』の中は…『楽園』」

テープはここで途切れた。
「彼女の妄想はこれでおしまいだった」
夜羽はそう言った。

テープは巻き戻しされている。
「しかし…無くしたいと思う人がいれば、得たいと思っている人もいる…」
巻き戻す音が鳴っている。
「世の中、本当に色々あるねぇ…びっくりするくらい」
夜羽は暗がりの中で苦笑いをしたらしい。
テープは巻き戻しが終わり、停止していた。
「君は『腕』をどうしたいのかな?」
独り言のように夜羽は呟いて、テープをしまい込んだ。


妄想屋に戻る