テープ24 背骨


「妄想の苗床はどこにでもある…」
夜羽は呟いた。
「どんな事柄からも妄想は花開く…」
夜羽はレコーダーの再生ボタンを押した。
「たとえば、こんなことからも妄想は花開く…」
テープはさらさらと流れた。

「背骨って洗いたくなりません?」
客の声は若い。
夜羽は唐突な客の問いに虚をつかれたようだった。
客が続ける。
「だから、背骨って洗いたくなりません?」
夜羽は客がどんな事を言っているのか理解しようとしている。
「ええと…背骨っていうのは、自分のですか?」
「魚の背骨洗ってもしょうがないじゃないですか」
「まぁ、そうですけど…」
「なんだか、背骨って洗ってみたくならないですか?」
夜羽はしばらく黙っていたが
「なんとも、概念のピントが合わないですねぇ…」
と、ぼやいた。
「だから僕は今からいろいろ話すんですよ」
「ふぅ…そうですね。話していただきましょうか…」
なんだかこういう手の客は苦手なのか、夜羽の声はちょっと疲れている。

「ええと…背骨を洗いたいんですよね」
「さっきからそれは何度も言ってます」
「…では、洗いたい理由とは?」
「うーん」
客はしばらく唸ると、
「なんだか、今まで十数年生きてると、背骨に何か汚れとかこびりついてそうじゃないですか」
「そんな感じがする、と?」
「はい、だから、背骨をこう、のどの後ろからずるずると取り出して、ごしごし洗ってみたくありません?」
「ふむふむ…」
夜羽は概念を少し理解できてきた風だ。
「で、洗ったらまた戻す。のどの後ろからするすると」
「汚れを落とした背骨を戻すわけですね」
「すっきりしそうじゃないですか」
「なるほど…」

客は続けた。
「実はこれは僕がオリジナルじゃないんですよ」
「これ?背骨を洗うということですか?」
「はい…テレビで誰かが言っていたんですよ。背骨とか洗ってみたら気持ちいいだろうなぁって」
「テレビねぇ…じゃあ、他にも同じ事言いに来る人がいるかもしれないわけだ…」
なんともはや…と、夜羽は嘆息した。
「ここに言いに来たのは僕がはじめて?」
「まぁ…」
「それじゃいいんです。とりあえずここでは僕がはじめてってことで」
客は妙に誇らしげに言った。

「ふーむ…ちょっと聞いていいですか?」
夜羽の問い。
「はい、なんでしょう」
「…洗いたいのは背骨だけですか?」
客はちょっと唸ったが、やがて答えた。
「洗えるんだったら、内臓の内側とか、他の骨とか、全部洗ってみたいですね。外側はいつも洗えますけど、内側って洗ってない分、汚れとか溜まっていそうですしね」
「なるほど…」
「なんか、いつも使ってるのに、洗ってないじゃないですか。一度全部洗ってみたら気持ちいいですよ。きっと」
「大掃除に換気扇の掃除でもするみたいですね…」
「ははは…近いかも」
客はちょっと笑った。

「その内、背骨洗剤とか出て、みんなで背骨洗ったり…背骨エステとか言って、背骨洗い専門業者とか出てきたり…女性雑誌に『今、背骨がすごい』とか紹介されたりしますから」
「…そんなものですかね…」
「背骨はきますよ…今にブームになりますから…」
「流行とは縁がないものでね…何ともいえませんが…」
「今のうちに洗う癖つけとくといいかもしれませんよ」
「話は以上ですか?」
「そだね。このくらいかな?」

そして、テープは沈黙した。

「しかし…本当に背骨を洗えるようになったら、テレビでこれを言った人は流行の先駆けになるのかな…」
ま、いいけど、と、夜羽は一度言葉を区切り、続ける。
「でも、僕の妄想屋にしてはポップな妄想だと思いますね…これは…」
こんなのもありかな?と、夜羽は苦笑いした。


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