テープ30 代役


「これは僕に関する妄想なんだ…結構プライベートかもね…」
夜羽はそれだけ言って、テープの再生ボタンを押した。
心なし、笑っているようでもあった。

「さて、あなたの妄想を聞かせていただきましょうか」
これは夜羽の声だ。
「僕はあなたに語るべき妄想は持っていませんよ」
客の声だ。夜羽に似ている。
「では何故ここに来たのですか?」
夜羽が問う。間を置いて、客が答える。
「僕が本物の『ヨハネ』だ。君の『代役』は終わり。それを告げに来たんだ…」
客のヨハネはそう言った。

「なるほど…僕は『代役』だったのですね」
「そう。しばらく僕の代わりをしていてくれている代役だったんだよ」
そっくりな声だけがやりとりをしている。
「ふーむ…」
夜羽がちょっとうなる。
「僕が本物の『ヨハネ』だ。妄想屋ヨハネなんだ…」
「あなたが本物たる確証は?」
「『代役』の君が知りえない様々なことを僕は知っている。本物だけが知っている情報を僕は知っているんだ。だから僕が本物。『代役』の役目は終わりだよ…」

「では…そもそも僕はどうしてあなたの代役になることになったのでしょうか…」
夜羽は問う。ヨハネが答える。
「それも、本物のヨハネの僕だけが知っている。僕が妄想を仕入れている間、この席で妄想を再生させている人物が必要だった。そこで君を僕の『代役』に仕立て上げたのさ…」
「ふむ。僕はここで妄想を再生させるだけの『代役』だったのですね…なるほどなるほど…」
「そう。そして君の役目は終わった。どこへなりとも好きなところへ行くといいよ。『代役』の君でなくても妄想は録音できるし、再生も可能だしね…」
「ほう…そうですか…録音ですか…」
夜羽は何かになっとくし、そして少し考え込んだ。

「ちょっといいでしょうか?本物さん」
「何か?」
「本物さんは、僕が知りえない妄想屋ヨハネのことまで知っているんですよね…」
「当然だ僕は『代役』じゃないからね」
「では…聞かせていただけませんか?妄想屋ヨハネの生い立ちを…」
夜羽の声は楽しんでいるようだ。
ヨハネも嬉々として語る。
「僕は産まれた時に捨てられ、どこかの教会で拾われた。聖書を愛読して育ち、天の神を父とし、シスターを母として育った…やがて成人したが、僕は教会の外にこんなに妄想達が渦巻いているなんて知らなかった。僕は触れたことのない妄想達に惹かれていった。そして僕は妄想屋をはじめた。このバーで…」
「ほうほう…妄想屋にはそう言った経緯があったのですか…興味深いですね…」
夜羽は興味深く聞いている。
「僕は何ヶ月も妄想を録音して生活していた。でも、ある日僕がどうしても外出する用事が出来てしまった。そして君という『代役』を立てることにした…君はそうして生まれたのだよ…」
「なるほど…」
夜羽は先程から促すような言動しかしていない。

「本物さん。のど乾きません?何か注文しましょうか?」
「ふむ…」
「本物さんはいつも何を注文していたんですか?」
「私は…いつもスプリッツァーを…」
ヨハネの言葉の語尾が弱い。
「マスター。スプリッツァーを一つ」
「『代役』君は?」
「僕はスプリッツァを」
「同じじゃないか?」
「伸ばすと間延びした感じがするんですよ。内容は同じでも、ちょっと響きが…ね。いつもこれ飲んでお客の話なんか聞いているんですけど、やっぱり、一度そう思いだすと、癖になっちゃうんですよね…僕は大抵伸ばさない…」
夜羽の苦笑いが聞こえる。
「お客の…話…?」
ヨハネは言葉をリフレインした。

やがて、卓上に物が置かれる音が二回。
「僕という『代役』を立てる前に、何ヶ月か妄想屋していたんでしょう?やっぱりこれ飲んでると、お客の顔とか、しぐさとか、思い出されません?」
「客の…客の…」
ヨハネは同じ言葉を繰り返している。
「どうしました?」
夜羽が心配して声をかける。
ヨハネが震える声で答える。
「何故お前が客の記憶を持っているんだ!」
「僕はあなたの『代役』で妄想屋をしていましたから…」
「ならば何故!」
ヨハネは言葉を区切り、
「何故僕には客の記憶とスプリッツァーの記憶が抜けているんだ!」
沈黙が降り、
飲み物でのどを鳴らす音がした。
そして夜羽はあっさりと答えた。
「あなたが僕を『代役』にしたという妄想に取り付かれていたんですよ…」
「妄想?僕は妄想に取り付かれていたというのか!?もしかしたら、僕ははじめから妄想屋なんて…」
ともかく、と、夜羽は話を遮り、
「面白い妄想を、ありがとうございました。お客のことについても、出来れば聞きたかったんですがね…妄想のサンプリングはこの辺が限界のようですね」
「僕の…僕の過去は…」
と、うわごとのようにヨハネは呟いていたが、やがて、録音が止まった。

「妄想屋夜羽も妄想の種になるなんて…世紀末だよねぇ…」
夜羽はテープを巻き戻し始めた。
「こんな三流の妄想屋の妄想持って何が楽しいんだか…妄想のサンプルが増えるだけじゃないかなぁ…僕の過去なんてどうでもいいじゃないか。ねぇ?」
夜羽は聞き手に問う。
レコーダーの電池が切れかかっているのか、巻き戻しのスピードが遅い。
「あれ…まいったなぁ…ま、これ一本巻き戻せればいいか。時間はあるし…サンプリングを取るようなお客もいないし…さて、」
夜羽はカウンターに向かって、
「スプリッツァ!いつものワインで」
と、オーダーをした。


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