テープ35 融合


「自分は自分、そこにある椅子と一緒ではないし、ましてや他人でもない…」
夜羽が静かに続けた。
「これはそうではないという妄想…」

再生が始った。
コンコンとかペタペタという音がする。
音のもとは卓上にあるらしい。
「何をしているんですか?」
夜羽が問う。
「ああ、よかった…ここはまだ彼女じゃない…」
心から安堵したような客の声が入る。
客が何かを確かめていた音だったらしい。
「彼女じゃないとは?それに、何をしていたんですか?」
再度夜羽が問う。
客が答える。
「彼女が『融合』するんです…ここが彼女に『融合』されているかどうかを確かめていたんです…」

「『融合』?」
「はい、彼女は『融合』をします」
「彼女とは?」
「なんだかよくわからないものです…とりあえず僕は彼女と呼んでいます…」
夜羽はふむ…と考え込み、
「どのように彼女が『融合』をするのか、話していただけますか?」
「はい…」
客は間を置き、
「彼女は触れたものを自分に取り込む事が可能です…」
「生物無生物に関わらず?」
「はい。何でも取り込む事が可能です」
「それでは彼女はいびつな形状になりませんか?」
「いえ。彼女は彼女のままです。しかし、彼女である部分が増殖するんです…」
「ピンと来ないですね…」
客が考え込む。
「たとえば、僕はこの身体以外僕ではないわけですけど、彼女は触れる事により、何でも自分の一部とする事が出来ます。来る途中に見たビルだって、彼女の一部として機能していましたし…」
「つまり、体の機能を『融合』する事により増やす事が可能だと…」
「はい。感覚器や何かを彼女は際限なく増殖させる事が可能なんです」
「そのうち全て『融合』されてしまうのではないですか?」
「いえ、今はまだ彼女の『融合』スピードはゆっくりです。でも…そのうちに…」
客は黙った。
夜羽も黙った。

「『融合』より『侵食』の方がピンと来るような気がしないでもないですけど…」
「いえ、『融合』です。『侵食』は侵すものが一方的に領域を侵しますが、『融合』はその領域で二つの存在が融れて合わさるんです。共存するんです…」
「ふむ…そうなんですか…」
「彼女は気づかないうちに『融合』をしています…生物無生物お構いなしに…」
「『融合』された対象は『融合』された事に気がつかない…と」
「はい。気がつきません。でも、時々彼女の感覚が伝わってくることはあります。なにしろ彼女の一部になっているのですから…」
「感覚器の一部みたいなものでしたっけね…」
客は肯定し、
そこに軽い沈黙が降りた。

客が口を開いた。
「彼女は…僕を『融合』させようと狙っています…」
「わかるんですか?」
「僕の部屋は全て彼女に『融合』されました…部屋にいると彼女の視線や声を感じるんです。僕はまだ彼女に『融合』されていないけど、彼女が狙っているのをひしひしと感じるんです…壁から…障子から…」
「あなたは狙われているんですか…」
「はい」
客は肯定だけする。
「彼女の声が聞こえるといいましたね。どんな事を言っているのですか?」
「ひとつになればいい…なにもかもひとつに…と。うたうように…」
「ひとつに…」
「意志がたくさんあるから衝突する…みんな一つになるってすばらしい事じゃない?…と…」
「ふむ…」

「最期にお尋ねしたいんですが、彼女の名前は何といいますか?」
夜羽の問いに客は答えて。
「Mary…メアリーといいます…」
と、言った。

テープはここで終わっていた。

「妄想屋は妄想を聞くだけだから、事の真偽は分からないけど…これが事実だったらすごい事になるよね」
夜羽はテープを巻き戻し始めた。
「だっていずれは世界が彼女になるんでしょ?それじゃ彼女は神様になっちゃうのかな?僕らは神様の一部?…スケールの大きい話だよね…」
夜羽は何かを続けようとしたが、やっぱりいいやと黙り込んでしまった。
テープは巻き戻され、やがて仕舞われてしまった。


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