テープ40 雷


雷はどこから出来ると思う?
僕は、積乱雲の中で科学的変化が云々というのは聞き飽きたんだ。
このお客は、一枚の絵から雷が出来たというんだ…

テープは廻りだした。
廻りながら、音を放った。

「美術館にはよく行かれる方ですか?」
客の声がする。
「いえ…結構出不精なもので…」
苦笑する夜羽の声がする。
「そうですか…美術館はいいですよ…音の限り無く少ない…墓の中のように、清浄で…そして、他人から絞り出されたイメージ達が凍り付いたようにそこかしこにある…なんというか、最高の場所ですよ…」
「なんだか、少し、行きたくなってきますね」
「ぜひ、行った方が良いですよ」
「僕は音声専門ですけど…」
「いえ、美術館に行った事で、何かを見つける事だってあるんですよ」
「例えば?」
夜羽が問う。客はしばらく黙っていたが、やがて話し出した。
「『雷を造る人』…私はそれをみつけました…」

「絵画ですか?」
「ええ、カテゴリーではそうなのでしょう。でも、あの絵が本当にあったのかどうかすら私には曖昧なのです」
「いつ頃その絵をご覧になったのですか?」
「何年前でしょう…私が6,7歳だったと記憶していますが、これも曖昧です。母に連れられ、美術館へとやってきました…そこの…1階と2階の間の…」
「踊り場」
「そう、広めの踊り場があって…そこに、あの絵が…」
「『雷を造る人』…でしたね」
「ああそうだ。まさしくその絵があったんだ。私は惚けたように、その絵を眺め続けていたんだ…」
客の声は、どこか恍惚としていた。
今、客の頭の中にはその絵があるのだろう。

十分間を置き、夜羽が訊ねる。
「どんな絵でしたか?」
「どう表現したら良いのでしょう…」
「記憶が曖昧なら、曖昧なままでも…」
夜羽が促す。
客は考え込み、やがて話し出した。
「日本人形が…雷を造っています…眼の釣り上がった…美人とは言い難い日本人形が…両の手のひらの間に、吐息を「ほう」と流し込み、雷を造っているんです…その人形は…木の歯車で動いていて…暗黒たる雲海の中には歯車が見え隠れしています…」
「その、からくり仕掛けの日本人形が、雷を造っている…と」
夜羽の言葉を客は聞いているのかいないのか。
「金と黒のきれいな対比の絵でした…怖い絵でした…でも、何だか惹かれました…」
と、何だか繋がらない事を言った。

「その絵を見たのは…察するところ、それっきりだったのですね」
「ええ、お察しの通りです」
客は至極残念そうに言った。
「名残惜しく、何度もその絵の方を振り返りながら帰ったのを覚えています…でも」
「その記憶も曖昧…?」
「ええ…」
客は答え、続けた。
「時とともに記憶はセピア色に変色をし、やがて、忘却に侵食をされる。しかし、覚えているんですよ…あの、金と黒との対比は…記憶から消えないんです…」
客はいとおしそうに言葉を綴った。
「もし、その絵に再び会える事があったらどうします?」
夜羽が訊ねた。
「その時は…その時です。美術館がいい夢を見せてくれた事に感謝をするでしょう」
「美術館…ですか」
「美術館…ですよ」
沈黙が降りた。

テープはそこで終わっていた。

美術館なんて、現代作家を名乗る妙な人間が意味不明なものを置くところとばかり思っていたけど、
不特定多数が妄想を持つ事の出来る格好の場所だったわけだ…
みんなが美術館に行けば、僕のテープも潤うんだけど…ね、美術館に行ってみないかい?
夜羽はくすりと笑った。


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