テープ42 侵食


これ、タイトルつけるのに、悩んだんだよ…どんなタイトルをつけるべきだろうかって…
結局、侵食というタイトルになっているけど、
もっと別のタイトルもあったのではないかと思ってみたりもするんだ…
このお客の話は、それだけ漠然としているんだ。
テープはすでに再生ボタンを押されていた。

まもなく、再生が始った。
「どうぞ」
促す夜羽の声。
何を促しているのかは明確でないが、いつものように客が話すのを促しているのであろう。
「話しても…病院に突き出したりしませんか?」
「病院が必要ならば、紹介しますが、病院に連れて行くような、出過ぎた真似はしませんよ」
「本当に?」
客は疑っているらしい。
「僕は一介の三流妄想屋。そこまででしゃばる気はありませんよ」
「そうですか…」
客は一呼吸置き、
「私が病的な中毒者でも?」
と、問う。
夜羽が答える。
「本人がよしと思っているのなら、僕には口を出す権利はありません。僕は話を聞くだけですし…もし、その中毒で困っているのなら、まぁ…病院は必要になるでしょうけど…」
「曖昧なんですのね…」
客が溜息をついた。
「話していただけますか?」
「わかりました」
客は話し出した。
「私はある事象に侵食されています…」

夜羽が問う。
「それは、先程言っていた、中毒の事ですか?」
「はい、それのことです」
「ある事象とはなんですか?」
「説明しなければならないでしょうか…?」
夜羽は客の発言を遮ったらしい。
「出来れば聞きたいのですが、説明したくなければ、結構です」
「すみません…では、説明せずに話を進めます…」
「いいでしょう…続けて下さい」
夜羽が促した。

「私はある事象に侵食されています…」
「では、侵食されるという感じは、どのようなものなのでしょうか?」
夜羽が先程とは別の問いを入れる。
「その事象に触れると、触れた指先から、どんどんそれに侵されていくような感じがします…」
「それ、は…一応、物として存在しているのですか?触れた指先からという事は…」
「まぁ…物といえばそう言えなくもないのですが…」
客は曖昧に答えた。
「いいでしょう。続けてください。指先から侵されるような感じがするのでしたね」
「はい…こう…指先から『それ』に…病気になるように…或いは、『それ』に染まるように…じわじわと…侵食されていくんです…」
「融合ではなく?」
「そんな生易しいものではないです。私は、じわじわと『それ』に侵食されているんです…『それ』無しではいられないように…私の遺伝子の一部として、『それ』を求めなければならないように…『それ』は私を侵食するんです…」
「なるほどぉ…それで中毒…ですか」
妙にのんきに夜羽が答えた。

「『それ』はあなたの健康を蝕んだり、あなたが迷惑したりするようですか?」
「いえ…」
「では、医者を紹介する必然性は皆無ですね」
「でも…」
「なんでしょう?」
「精神科や…心療内科なんかに…」
「あなたがそれを必要としている。侵食されたらしいですけどね。でも、必要とし、迷惑でないのなら、『それ』と共存するのも一興かと思いますよ…少なくとも僕は、どの系統の医者も必要ないかと思います」
「私は…」
「問題は何一つないじゃあないですか」
「私は狂っていないでしょうか…」
「誰かに言われたのですか?」
客は黙っている。客が肯定したのか夜羽が続ける。
「よくある事ですよ。理解できない考えを妄想として狂人とするのは。でも、妄想を持つのは狂人だけとは限らない。みんな、妄想をもって生きている。妄想と認めるか否かは人それぞれですけどね…」
そして、
「今日はお話をどうもありがとうございました」
と、夜羽は締めくくった。

テープはここで終わった。

これが、アルコールや煙草の中毒なら、医者を紹介した方が良かったのかもしれないけど…
お客の『それ』は健康に害を及ぼさないようだしね…放っておくことにしたよ…
侵食されきった時、また、お客が話しに来てくれたらいいな…とか、目論んでいたりもするんだけどね…
テープは巻き戻されている。
その音を認め、夜羽はグラスのカクテルに口をつけた。


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