テープ54 伝言


言葉がある。それを伝える。
そしてそれを理解する。
伝えるための言葉、それが伝言…messageさ…
歌うように夜羽は前置きした。

ブツッ…ヅヅッ…
テープを再生させると、旧式のレコーダーのマイク録音にありがちなノイズが入る。
そして、静かなバーの少ない声が入る。
「では、話していただきましょう」
いつものように夜羽が話を切り出す。
そして客が答える。
「話したってどうせ理解をされません」
その声の「どうせ」には、諦めよりも優越が勝っているようであった。
「理解するのが仕事ではありません。話を聞くのが僕の仕事です」
「どうせ理解をされません」
客が同じ文句を続けた。
「ならばどうして、妄想屋に来たのですか?」
夜羽の問いに客がククッと笑った。
そして夜羽を無視し、話し出した。
「これを聞くであろう、妄想に取り付かれた何人ものオーディエンスの中の、私を理解できる至高の薔薇よ。私は君だけに伝言を残す。思考を持たないブタどもの中にいる私の薔薇、私の理解者よ…」

私はメッセージを理解する事が出来る。
そう、どんなに俗世間的なメッセージでも、難解なメッセージでも、
その事象がどんなに深いメッセージを秘めていても、私はその深みすら暴き、理解をする事が出来る。
聖書も理解した。コーランも理解した。
私は秘めたるメッセージを私の脳で理解した。
しかし、そのメッセージを伝える事はしない。それは何故か。簡単である。
私のようにメッセージを理解する頭脳の持ち主でなければ、伝えるだけ無駄な事であるからだ。
それ以前に、思考を持たない流されるだけのブタどもとは、会話をする時間さえも無駄なものであろう事は、私の理解者、私の薔薇であるならば、すぐにわかってくれるはずだ。

ひとつ、一例を示そう。
アニメーション・コミック。日本のものは水準が高いね。わかっているだろう?
映像、または画力の水準の高さもさる事ながら、やはり、それらに盛り込まれた情報量が日本のアニメーション・コミックの水準を高くしている事は間違いがない。
私はその情報を理解する事が出来る。
どんなに断片的な情報でも、そこから思考を構築し、理解をする事が出来る。
ブタには出来ない。
流されるままのブタには出来ない。

だから私は伝言を残す。
何人ものオーディエンスの中に存在するであろう、薔薇の理解者に。
私達には理解する能力がある。私達は勝っている。
流されるままのブタよりも。遥かに。
私達は理解者を互いに求めている。
心底理解を示し、共感・共振を出来る理解者を。
しかしそれは、社会という愚かなる枠組みから外れるであろう事も私は知っている。
ブタの檻から、我々は外れてもいいのだ。
我々は他の奴等とは違う!
我々は愚鈍なるブタではないのだ!

「最後に…」
「最後に?」
黙っていた夜羽が問い返す。
「最後に、再び言っておく。我々は特別だ…我々は選ばれたものである…愚民にはつかめない理解の尻尾をつかむ事の出来る選ばれた民である…と」
夜羽は言葉の余韻まで聞き取ると、
「ありがとうございました」
と、録音を切った。

自分が特別だとか、勝っているとか。ある一点で思うのは構わないよ。
『自分』というのは、この世に二つと無い、スペシャルだからね。
ただ、その勝っている個所から、見下すのはあまり好きでないんだ…僕は。
彼の言う、薔薇だとか理解者の方々…が、君かどうかは知らないけれど、
僕からの伝言。あまり他人を見下さないで欲しいな…とね。


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