テープ58 好き


これは…季節は春を告げようとしていた。そんな時の話だ。
まぁ、こんなものもあるという事を聞いてもらいたいな。
そして夜羽は再生をはじめた。

「好きなものがあります」
少女の声がはじめに再生された。
「ほう。好きなものがありますか」
「はい。好きなものがあります」
そして少女は夢見るように言葉を綴った。

雨が好きです
暖かい雨が好きです
風が好きです
髪を撫でて行く風が好きです
水が好きです
指を冷やしながら通りすぎていく水が好きです
花が好きです
食べたくなるくらい奇麗な花が好きです
鳥が好きです
美しいフォルムの鳥が好きです
月が好きです
爪のような皎々とした月が好きです
雪が好きです
優しい雪が好きです…

そして、一段落つけると、少女は溜息をつき、何か飲み物を飲んだらしい。
「たくさん好きなものがあるんですねぇ…」
少女は飲み物を一気に飲み干したらしく、溜息を一つついた。
そして
「ええ、いつも思います。この世の中はなんて好きなものに囲まれているのでしょうと…だからこそ、この大好きな世界を守りたいといつも思うんです」
「守る?どのようにして?」
「よくわからないですけれど…私にはそういう力が潜んでいるんじゃないかと信じたいんです」
「自分がこの大好きな世界を守れると?」
「そうでなければ空しくないですか?悲しくないですか?好きなものが壊れたりするのを守る事も出来ずに、ただ見ているだけだなんて…だから私は守る力を得ようと思うんです。他人からもらうものではなく、なんというか、自分で勝ち取るもの…」
「その力でこの世界を守ると?」
「いえ、大好きな世界です」
そして少女は一息つき、
「嫌いなものは抹消します」
キッパリといった。

「風の円舞曲を閉ざすコンクリート…そう、私の回りは高い壁に囲まれていた。灰色の部屋。その部屋に窓はない。夢見るためのまくらもない。そこで私は見たんです。大好きな世界を…」
「雨や風の…」
「そう、この世界の果てのようなその部屋で私はようやく、好きになるという事を見付けられたのです。だから、私を生き返らせくれたその『好き』を守りたいんです…」
「象徴的ですねぇ…なんとなく」
「象徴的ですか?」
少女は聞き返す。
「いや、閉ざされた世界に閉じこもって殻を作っているように感じられましてね…」
「そうですか?」
少女は笑みを含んだ声で問い返す。
「気のせいのようですね」
「ふふっ…気のせいですよ」
少女は笑った。

「妄想屋さん。私からお願いがあります」
「あ、はい、なんでしょう?」
夜羽は不意をつかれたらしい。
構わず少女は続けた。
「絶対、私の世界を否定しないでくださいね。大好きなものを否定されるのって、とても、悲しいんです…ですから…」
「わかりました。否定はしません」
そして少女の声色は一気に明るくなり、
「ありがとうございます!」
そう言った。

夜羽はここでテープをとめた。

これを録音してすぐ、こんな噂を聞いたんだ。
少女Aインターネット中毒。ネットを止めさせようとする親を殺傷。
好きな世界から引き離されるのってさ、親でもなんでも殺したくなるくらいに辛いのかもしれないね。
斜陽街に流れる噂と、このテープを聞いていたら、そんな事を思ったんだ。


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