テープ60 飛行


テープのタイトルなんて毎回いいかげんだけど、
これもまたいいかげん。
ネギがテープの説明を入れないから、このいいかげんなタイトルからお客は内容を推測する。
それもまた妄想。
流れるこれもまた妄想さ。

「毒にもならないその飛行…」
客の声、どこか上の空である。
「毒にもならない?」
「そう、私は空気の様なもの。飛んでいる私は毒にも薬にもなれない、それでも私は飛行する、そこに私だけが持つ意味があるように、或いはその行為が幸せだと信じたいがため…」
「幸せだと?」
「そう、これが出来る私は幸せ。私はコピーではない、私は私、私しかいない、これは私しかいない、重力さえも、空気さえも、味方につける事のできるのは私しかいない…そう、私は解放されている。飛べるのは私だけ、あの翼で飛べるのは私だけ…そう、私は思いたい…」
「あなたが思えば、それが真実ですよ」
夜羽が何かを含むように優しく囁いた。
客はその何かを感じ取ったのだろうか?
「私…だけ」
「そう、あなたの思い描く空を飛べるのはあなただけ…」
「私…だけ」
客が繰り返す。
「あなただけです。ですから、あなただけの物語を聞かせてください。この、僕に」
「私…だけ」
客は三度呟いた。そして、
「その時イカロスは幸せだった…」
上の空のような、夢見るような、客の言葉であった。

「イカロス…ギリシア神話でしたっけ?」
夜羽が確認するが、客はそれには答えない。自分の物語を紡ぐ。
「イカロスは蝋の翼で飛んだ、風を重力を友にして。でも、結果的にイカロスは落下した」
「イカロスは幸せだったとは…」
「彼は幸せだった、燃え盛る恒星に向かい理想のみを追い求めたその時間。それは彼にとって幸せだった。しかし、彼がいちばんの幸せを得たのは…翼が融けた瞬間だ」
「堕ちちゃいますね…」
「いや、落下の直前こそが最も幸せな時間。すべてから解放された瞬間。きっとその時は風もなかった。障害は何もなかった。誰も届かない場所に自分はいる、そしてそこで解放された。解き放たれたんだ。そしてイカロスの魂は太陽とキスした。抜け殻を重力の赴くままに落下させて…」
「奇麗な物語ですね」
「私はいつも思うんだ。物理的な事はいつでも…時間やら費用やらをかければ高度も速度もどうにかなる。しかし、誰も太陽とキスが出来ない。落下の前の瞬間は誰もつかめない。解放の瞬間が…つかめないんだ」
客はどこか寂しそうでもあった。

「みんな予定調和の中で泳いでいる…」
「ふむ。そんなものでしょうか」
「そう、だからこそ先を先を推測して、瞬間をつかめない。最も大切な、抜け殻を捨てて太陽とキスする幸福な瞬間。それをつかめない…」
「先を…昇れば堕ちる事…」
「…落下を思っては飛べない。その瞬間はつかめない。みんな落下が恐い。だから、落下しないよう飛行する。それでは、解放されない。落下し、地と激突する衝撃。それを思ってはいけない」
「或いは無鉄砲ですねぇ…」
「それで十分だ。それが出来るのは或いは私だけ。私だけ。私だけ」
「あなただけ…」
「私こそが飛行できる者…魂を解き放てるもの…そして、あの空そのもの」
やはり夢のように客は締めくくった。

テープはここで終わっていた。

無鉄砲結構。そうしなくちゃ見えない事もあるさ。
きっとこのお客は、それを見たいと思っているのか、或いは…もう見たのか。
それとも、それこそが妄想か。
僕は話が聞ければそれでいいのさ。
夜羽はそう締めくくりをした。


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