テープ67 忘れる


人間には忘れるという能力がある。
これはみんな認めることだと思うんだ。…多分ね。
これは忘れるということにまつわるお話し。
この街にやってきたという、ある男が話してくれたんだ…

夜羽はテープを再生しはじめた。

「忘れることは罪だ」
客はまずそう断言をした。
「記憶が出来る限り忘れてはいけない…あの人はそう言った」
意味らしい意味があったのはそれまでだった。
「忘れてはいけない忘れてはいけない…3月の5日…その日私はこの街に存在をはじめた…気が付いた私はこの街の3番街にいた…私は右から左へと視界を巡らし、そして左足から歩き出した…12歩歩いたその時、私はこの街の住人にであった…」
そこからは客の詳しすぎる日記のようなうわごとが続いた。
4月…5月…と、続いたであろう個所を、夜羽は早送りした。

次に再生された個所も、やはり客がうわ言を言っていた。
「あの人は言われた。『決して……忘れないように』と。私はその声を聞き、己から忘れるという機能を削除した…忘却を己の罪とし、あらゆる物事を記憶し続けた…そう、忘れてはいけない忘れてはいけない…」
「あの人とは?」
夜羽がようやく話の隙間を見付け、問いかけた。
客は答えた。というより、夜羽の問いに答えたのではなく、自分のうわごとの延長のようであった。
「あの人はあの人…忘れることを禁じている人…」
「どのような人ですか?それも記憶していますか?」
「あの人の姿を私は知らない。知らないことを記憶は出来ない…忘却もまた不可能である…」

そして、その時は突然訪れた。
「…頭が痛い。頭にひびが入っているようだ。痛い痛い痛い痛い割れる割れる割れる割れる…」
「鎮痛剤を…」
「いや、そんなものではおさまらない!」
客は怒ったように言った。
「わ、私は、あの声にしたがって…脳を、脳の…容量をほとんどすべて記憶にあてた…それでも足りない!足りないんだ!容量を増やせば…いけない!増やせば頭が割れる!頭蓋がひびにそって割れる!そう、きっと脳にバラバラになった頭蓋骨が張り付くような形になるに違いない…」
おい、大丈夫か!という声が、小さく入った。
バーの客あたりが心配をしたのか?
「容量が足りない足りない足りない足りない…………そうだ…まだ削っていないのがあったじゃないか…」
客は、本当に自然に言った。
そして、黙った。

夜羽はテープを止めた。
「悪いけど、お客はこれ以上話すことが出来なくなった。眼を閉じ、動かなくなった。…死んだのかもしれない。その辺は確認しないまま、お客は運ばれていった」
そして夜羽は、夜羽の眼から見た客のことを話し出した。
「もしかしたら、客が記憶の増強ために割いたのは…外部からの感覚器だったのかもしれない…担架に乗せられていくお客を見ながら僕はそんな事を思った…それから、最近、斜陽街で…同じような症状を持った人が増えているらしいんだ…誰かが忘れないということを強要しているのか…それとも、そうなるように誘導しているのか…その辺は僕もわからない…」
夜羽はグラスを傾けた。
その仕種が妙に憂いを抱えているように見えた。
「ただ言えるのは、この街に来て、確たる自分を持っていない人がそういう症状に陥りらしいんだ…君も気をつけて…」
夜羽は神妙に忠告した。


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