テープ73 知識


「妄想テープにも色々あるんだけど…たまには、こんなのもあるんだ…」
夜羽はそのテープをセットし、人差し指でカチリとレコーダーのふたを閉じた。
「これはね…妄想している本人のものじゃないんだ…」

レコーダーの中、何かの歯車のようなものが廻った。

「いえ、これは私の妄想ではないのです…」
「でも録音はじめちゃいましたよ…どうします?このまま話してしまいます?」
客が少しだけ考え込んだらしい。そして、
「話しましょう。これは妄想であって欲しいから…」
憂いのような感情を客は声に滲ませていた。
「先も申し上げたように、これは私の妄想ではありません…」
「では…伝え聞きか…知人のものですか?」
「それもそうのような…違うような…」
「そんな難しい位置の人物の妄想なのですか?」
「これは…」
客は少しだけ声をとぎらせ、
「私が…ネットの海で出会った妄想であって欲しい事柄なのです…」
夜羽が「ホウ」と感嘆の声を漏らした。
「電網ですか…なら、妄想に触れても一概に知人のものとも言い難いですしね…」
「そういうことです。人間関係の距離も至極曖昧ですしね…」
「では、本題に入りましょう。触れた妄想のことを訊かせてください」

「あれは私が…リンクをたどって…何でもいいから情報を得ようとしていた時のことでした…」
「俗に言うネットサーフィンですね」
「まぁそうです。そこで私は一つの妙なサイトに出会いました」
「妙なサイトはごまんとあるそうですが…さて、どんなものだったのでしょう」
「そこのトップにはこうありました『他人を自分の思い通りにできます…生死も自由です…』と。こんな意味のことが…」
「どういう事でしょう…?」
夜羽はどこかピンと来ていない。
「私も何がなんだかわかりませんでした。しかし、読みすすめるうちにとんでもないことを、このサイトはしているということに…気がついたのです」
客は躊躇した。
夜羽は黙っている。
客は意を決して話し出した。
「そのサイトは個人の…いかなる情報も自由に提供が可能らしいのです。そればかりか…この人間を殺してくれとあれば、一週間以内に殺害し、その殺害写真まで掲載し…決してアシがつくことはないと…」
「そんな…」
夜羽は言葉を失った。
「私はそれでも…その悪の魅力に飲み込まれたのかもしれません。そのサイトの管理人と、掲示板という手段を通して、コミュニケーションを取りはじめました…管理人の名前は『ワイズマンの息子』といいました…」
「識者の息子…」
「彼と何度か情報をかわすうちに…彼はぽつぽつとメールをくれるようになりました。私がメールをすれば、必ず返事がありました…」
「メールを…とても殺人をするような輩がするような事でもないような…」
「ええ、私もそう思いました…メールや掲示板の彼は…とても、犯罪を起こせるような素質はないかのように思えました。しかし、少しだけ受動的なところがありました。意見が出れば、どんどん流されていくような…悪く言えば自分の意見を持たないような…」
親愛と…わずかの畏れ。心配をしているような…そうでもないような。
情報の海で出会った…几帳面な異端児…。

「ある時…彼は…どういう事か私を信じて…、ワイズマンの息子となった理由をメールにしたためてくれたのでした」
「ふむ…」
「僕も君のような、一般的なネットワーカーだったんだ…。しかし、僕はある時…ワイズマンと接触した。それははちきれんばかりのデータベースだった…そう、全てのデータが入ったデータベースだ…僕はそれを…受け入れた。僕はその時から…地球はおろか、いまだ有限の宇宙まで接続され、自分の求める情報を検索することができた…そして…引き出すばかりでなく、情報を書き換えることも可能になった…そして、生死が操れるようになった…」
「それはもう…人間では…」
「…彼は最後にこう記していました。僕はもうすぐ心も失う。しかしそれは次の次元への…変化だ…。君もいずれここに来ることもあるだろう。その時はまた僕と話してくれないか?」
「次の次元への…ですか」
「私はこれが妄想であって欲しいのです…あの彼が実際そうだとは思いたくないのです…」

歯車が止まった。
間を置き、再生ボタンが跳ね上がった。

神様になってしまったとか…そんなのは知らない。
でも…神様にしては寂しがりすぎる…
人が変わるために捨てなくちゃいけないものを抱えた曖昧な存在…
その彼はまだ請われるままに情報を書き換えているんだろうか…なにか、悲しいね…
夜羽はしんみりとそれを結びにした。


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