テープ74 繭


繭、それは多分さなぎの一種じゃないかなと思う。
僕は昆虫学に詳しい訳じゃないから…その程度の認識だけどね。
変わりゆく物を守る柔らかい殻。そんな気がするんだ…

テープは細い溜息からはじまった。
「ふ…」
と、それだけ。
そして沈黙。
「疲れていますか?」
といったのは夜羽。
「いろいろとね…」
と、答えたのはお客らしい女性。
お客はまた、そうして溜息をついた。
先程のように、細い細い溜息を。

「溜息をつくとね…幸せが逃げるって、死んだママが言ってたわ…」
客はやや自嘲気味に言った。
「だからあたしはこんなになっちゃったのね…」
やはり溜息まじりの、艶っぽい笑みが聞こえた。
「こんなに…が、職種のことをいうのであれば、職業に貴賎はないはずです。僕はそう思います」
励ましているようだが…ただ単に思う事実を述べているような、そんな夜羽の声がした。
お客はそれを、励ましに近い意味として取ったらしい。
「ありがと…」
多分、官能的な唇が、感謝を紡いだ。

「満足をしないと溜息をつくと…溜息はそういう性質のものだと聞いたの…だから、溜息は幸せを逃がすと言われるのね…」
「そういう側面もあるかもしれませんが…あなた自身はどう思っていますか?」
夜羽が話を振った。
客は溜息まじりに答えた。
「あたしかぁ…あたしはね…溜息は…糸だと思うの。細い細い…目にみえない糸…」
「糸…ですか」
「そう、こう……ふ…って溜息という糸をはくの…」
「蜘蛛みたいなもの…ですか?」
「ちがう…」
客は静かに否定した。
「それであたしは繭を作るの」

客は続けた。
「繭を作って守るの…変わりきれなくて、まだどろどろしている自分を。まだ弱い自分を…」
「さなぎ…」
夜羽は印象を口にした。
「さなぎよりも繭がいいわ。暖かそうだもの…」
客はまた溜息をついた。
やはり細い…絹の繊維のような溜息を。
「繭にこもっているだけじゃいけないの…だから繭は柔らかいの」
「と、いいますと…」
「繭は身体を守るんじゃないの。心を守るの…繭の中で安心を得て…そして、変われた時に…いつでも飛び立てるように…繭は柔らかいの…」
客は最後の溜息をついた。
「蝶でも蛾でもいい…あたしはかわって…飛んでいってしまいたい…」

気がつくとテープは止まっていた。
溜息の余韻がまだ残っていたが、野暮なレコーダーの停止音がそれを壊した。

彼女はきれいな人だったよ。
彼女に言わせれば、その『きれい』も繭の滑らかさのようなものなんだって…
…僕はいつか、仕事抜きにして、繭から出てきた彼女にも逢ってみたいと思った次第さ。
夜羽はそこでふと、口上を止めると、
…繭って…柔らかい卵みたいだよね。生まれ変わる卵…
と、一人呟き、そして黙った。
何を考えているかは察することができなかった。


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