テープ78 林檎


そう、林檎。このテープのタイトルは林檎だ。
僕も散々迷った挙げ句のタイトルなんだけどね…
僕は…この妄想に真っ赤な林檎に近い物を見た。そういうことなんだ…

テープは、廻った。

「今考えてもどこからが夢なのか…あれは現実だったのかが分からない出来事です…」
几帳面な男性…声のトーンからして、30才以上45才未満というところだろうか?
きっと、痩せている。
典型的東洋顔の頬がこけたような…テープの響きはその顔を伝えてくる。
「体験談ですね。聞かせていただきましょうか?」
夜羽だ。
相変わらず茫としている。よくわからない。
「で、では…」
男は咳払いをした。
「私はこう見えても、それなりの事業家であります…」
不安そうな声に、威厳…の、様なものが宿った。彼なりにがんばっているのだろう。
「続けてください…」
「はい、私は我が社が当時、再開発を行う場所を…視察しにいって…そして…」
言い澱んだ。
彼は多分そこで何かにであった。
「続けてください…」
夜羽は繰り返す。妄想屋はここが肝要なのかもしれない。
「わ、私は…そこに街を見まし…た…」

『見た』ことを認めると、客は意外と素直になった。
「あすこは、とても水はけが悪い…川がはしっているがどぶ川だ。その川に寄り添うように建物がある…灰色で黴っぽい…ひびも入っている…」
「それでも…街という名である以上、人はいるのですね…」
「そう、あすこには生活がある。再開発で住民は全て強制的に立ち退かせるが…いる。まだ。いる。黒い川に船を浮かべて暮らすもの…編み笠をかぶっている…」
「編み笠?」
夜羽は聞き返した。事業家が再開発をするところに編み笠の…?
男は続ける。
「コンクリートのひび割れた建物には、簾がかかっている。ここに生活がある。しかし…商売はまともなものばかりでない…違法性があるということも私は知っていた…そして私はそこを見た…」
「どんな商売でしたか?」
夜羽が静かに問う。
「少女を…売っているんだ…」
客の声は、遠くに行きかけていた。

しばらくの間があり…
「失礼ですが…」
と、夜羽が切り出す。
「売春ですか?」
客は否定した。
「売春よりいいのか悪いのか…私は見た。見た。そこには林檎が一つ、転がっていた…そういう店である印だ…私は簾を上げて店内に入った。いや、誘われていたんだ…林檎が誘うように転がった。私はそれに誘われたんだ…」
「店内には…何がありましたか?」
「棚、だ。そこには着物がある。和服…振り袖…それらが棚にある。これらは少女達を表している。着物を選ぶと、その着物の持ち主である少女を買った事になる…」
「失礼ですが、買うというのは?」
「愛玩動物と一緒だ…買った後は客次第…いたぶり殺しても良し、我が子にするも良しだ…私はそれが許せなかった。許せなかったが、一人の少女を…買ってしまった…青い着物の少女…頬が…」
客は一呼吸だけおいた。
「頬が林檎のように赤かった…」

「私は彼女をそこから救ったと思っていた…店に金を払い、これで自由と幸福を与えたと思った…しかし…」
「違ったのですね?」
「いや…わからない…」
「わからない?」
夜羽はいぶかしむ。
「私は…それを何度もしている気がするのだが…何人の少女を…林檎の頬の少女を買い取ったはずなのだが…家族は増えないのだ…いつも私一人だけ…少女を売っている店は嘘なのか…林檎の頬の少女達は全部嘘なのか…」
客は溜息をついた。
「あのあどけない少女をみんな救うまで…私は、許されないのかもしれません…無数の林檎が笑っています。鈴を転がすように笑っています…あの場所の再開発は取りやめになりました…私はまだ、少女を買わなくてはなりません…」
客はどこか、奇妙な義務すら持っていた。

テープはここで止まっていた。

林檎かわいやかわいや林檎…かどうかは知らないけど…
林檎に誘う性質があるのかもしれないね。
ほら、楽園の知恵の実…よく林檎で描かれるでしょ?
誘っているのかもね…果実はいつだって。
夜羽はそうまとめた。


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