テープ80 雨


雨っていうのも困ったもの。
視界がぼやけたりするしね。
ぼやけた視界の向こうに…彼は何を見たんだろう?
…今回はそういうお話。

テープは廻った。

「あれもこんな雨の日でした…」
「どんな雨の日でしたか?」
「晴れない日でした…雨が止んでは曇り、またはどしゃ降り…気分まで滅入るような雨でした…あの日は…」
「あの日ですか…」
「そう、あの日です…あの日僕は、葬儀に行っていました…」
「どなたの葬儀でしたか?」
「さぁ…顔も名前も知らない親戚…」
と、客はここで言葉を区切った。そして一言続けた。
「だった、はず…です…」

「僕は親戚の葬儀にきたはずでした…そして、その会館の六階まで上っていったはずでした…そのビルの屋外の非常階段を…」
「はず、でしたか…」
「そう、そのはずだったんです…雨の音が響いていました。ざぁざぁと笑うような音がしていました…灰色の階段は明るいのに暗く…私は何度も転びそうになりました…」
客の感覚は、その日のまま、それを伝えようとしている。
もどかしそうに時々言い澱む。発声が明瞭でない。
言い澱んだその時、夜羽が問うた。
「あなたは…何を見たのですか?」
客は黙った。夜羽も黙った。
間があった。
やがて客が話し出した。
「あれは非現実です…」
まずは、それから。

「確か…あなたは六階を目指していた…そして屋外の非常階段を上っていた…」
「はい」
「…見たのは六階ですね?」
「…はい」
客は肯定した。
「何を見たのですか?」
客はボウッとした声で答えた。
「階段を上り切ると…雨の音に混じる波の音…が、聞こえた…」
答えになっているのかどうかわからない。
夜羽は黙っている。
「僕は濡れた手で、会場の扉をあけた。波の音は一層大きくなった。ここから波が聞こえていたとわかった…潮の匂いと腐臭がした…」
「腐臭?」
「腐臭?そう腐臭…会場の壁という壁には、海が描かれていて、それらは動いていた。ああ、ここにも雨が降っている…潮風でしょっぱい雨だ…腐臭は彼等からだ。海の壁に向かおうとしている彼等だ。彼等は何かを運んでいる。彼等は醜い、彼等は、彼等は…」
客は言った。
「彼等は腐敗していた…そして彼等は動かなくなった誰かを海に弔おうとしていた…」
「腐敗…ゾンビとかいうものですか?」
「見てくれはそれに間違いなかった…おかしいのは、その腐った彼等を囲んで、喪服の『人間』が嘆いていることだ。あいつらは化け物だ…腐っているんだ…腐った奴等の屍体なんて…何でそんなものを悲しむのか…ああ、悲しんでなどいない…海鳴りが聞こえる。海鳴りが悲しみと勘違いをさせていたんだ…海鳴りとしょっぱい雨が降る…なんて目にしみるんだ…」
客は鼻をすすった。
「僕の眼はその時確実におかしくなった…本当に映るものを認識したがらなくなった…だから僕はもう彼等をゾンビとは認識できなくなった…ぼんやりとした人型…ああ、みんな同じじゃないか…人が死んだ。弔っている。悲しむべきことだ。大いに。大いに!」
客は笑った。何がおかしいのか笑った。
…笑い声が、鼻にかかったように…泣き声のように濡れていた。

古臭い再生ボタンが跳ね上がって、テープが停止した。

悪い夢を見たといえばそれまで…
雨に眼をくらまされて、妙な物を見たといえばそれまで…
眼の見えない人は時々妙なところに迷い込む。結局そういう事なのかもしれない…
…どんなに強い雨でも、視界は歪ませないように注意してね…
忠告して、夜羽は話を終えた。


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