テープ83 雲


雲をつかむようなこと…出来そうもないことをそう言うんだよね。
これは…まぁそんなお話。

テープは廻った。
再生がはじまった。
客は…テープの音から察するに、もう席についており…
話しのきっかけを探す状況だったに相違ない。
「あの…」
と、客が話し出そうとした。
そこへ、
「詐欺、あったことあります?」
夜羽が唐突に訊いてきた。
息を飲む音がかすかに聞こえた。
「あなた…そんな顔、してます。夢から覚めて、ひどく寂しくなっているような」
沈黙があった。
その間、客の心には何が去来していたのか…そこまでは伝わらなかった。
やがて、
「あれも…詐欺というならば…」
と、客は話し出した。
声には…どこか疲れた人間の響きがある。
客は疲れた人間らしく、疲れた溜息を一つついた。
「あれは、まるで、雲をつかむ話しでした…」
客は再び、夢を見た。

「仕事からの帰り…私はある男にあいました。人の良い紳士のような…でもどこかチャップリンのような道化さを持った…そんな男でした」
「それはどこで?」
客は回想をする。
「私が住む住宅街の…小さな小さな公園です。そこの広場にぼんやりとしていました…」
「あやしいとは?」
「まったく思いませんでした…ただ、その人がそこにいるのは当然なんだなと…昔々、紙芝居のおじさんがいつもの場所にいたように…その男の人がそこにいるのは当然のように思い、私はそこに近づいていきました…男は私に気がつき…人の良さそうな笑みを浮かべたのでした」
客は溜息をついた。
「ひどく…懐かしい笑みでした」

「私は尋ねました。あなたはどうしてここにいるのかと…」
「それで…何をするためと…」
「そう、それで彼は雲を三つ編みにするといったのですよ…」
ほぅ…と、感嘆したのは夜羽だ。
「私が『できるわけない』と言います。『できますよ。できたら何かいただけますか?』私は答えます『なんでもどうぞ…』と…男は『まぁ見ていなさい』と言い、空を仰ぎました。ぽっかりと雲が浮かんでいます。子供の落書きのような雲です…と、その時…」
客の声が…回想の中で、少し、きらめいた。
「頭の上の木から林檎でももぎるように、彼は雲をむんずとつかみ…もにもにとして一本の糸にしてしまいました…彼はそれを何度も繰り返し…ぱぱぱと長い糸を作り上げてしまいました」
「まるで手品では…」
「そう、手品…なのかもしれません。それでも私はそれに引き込まれ…気がつくと彼から三つ編みの雲を…中指くらいの長さのものを握らされていました。『これは記念にあげよう。かわりに、少し大事なものをいただくよ』…彼はそう言い、三つ編みの雲を天に投げて…それにつかまって昇っていってしまいました…」
「何を…持っていかれたのですか?」
客はここではじめて…夜羽に向けて笑ったようだ。
「何だと思います?」
「さぁ?」
客は笑った。
なぞなぞを出して困らせている子供そのものだった。
疲れたような影はどこにもなかった。

テープはここで終わっていた。

雲と蜘蛛…そして糸。響きだけなら親戚かな?
ともあれ、この人はそういう詐欺師に捕まったらしいと…
取りようによっては詐欺でもなんでもないのかな?
雲をつかむのは妄想だけで十分。
そうでないと、大切な何かを失うかもだよ?
…大切さも人それぞれだけどね…
夜羽はそういい、微笑んだ。


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