テープ84 薄闇


明けゆく空と薄い闇。
暮れゆく空と薄い闇。
目を凝らせば見えるほどの闇。
そんな闇を抱えたお話…

テープが無機質に廻る。
やがて音声を伝え始める。
音声とともに、情景まで浮かぶような気がするのは…それも妄想なのだろう。

「ほっほっほ…」
老人の、笑い声。
きっと、いかにも好々爺という類だろう。
深いしわが、いつでも笑顔にみえるような…そんな老人を連想させる笑い声だ。
「お若いの、こうしてどのくらいになる?」
こうして、とは、職業のことだろうか。
夜羽が答える。
「忘れました」と
老人はまた「ほっほっほ…」と笑った。
「よいよい…大切なことを忘れなければよいよい…」
「大切なこと?」
夜羽が問い返す。
「そうじゃ…大切なことを忘れたら、それこそ意味を無くしてしまう…つまりそういうことなのじゃよ…」
老人は大きく溜息をついた。
「わしらは今、薄闇の中にいる…全てを消し去る闇の一歩手前にいる…」
「わしら?」
「そう…お若いのにわかるかのぅ?」
「いえ…」
夜羽はわからないと意思表示した。
老人が答えた。
「家、じゃよ…」
「家…ですか」
「そう、家系、家族…言葉は何でもあろう。とにかく、家じゃ…家は薄闇の中におる…」
「はぁ…」
夜羽は今一つ飲み込めない返事をした。

「家…ねぇ」
夜羽はぼやっとしながら言葉を反芻する。
「家は薄闇の中におる。全ての意味がなくなる闇の一歩手前に…」
「闇にあるというのは…意味がなくなるということなんですね。家の意味がなくなる…?」
夜羽は一人だ。
彼には家族というものを理解するということが…もしかしたら出来ないのかもしれない。
老人はそれを知ってか知らずか…
噛み砕いたように話す。
「家というものは様々の意味を内包しておる。温かさ、守り、厳格、規律、愛…まぁいろいろあるじゃろう。それらは人が人であるときから、ずーっと形を少しずつ変えつつ存続していた…ある時は意味を付加し、あるときはなくしていた…が…」
「していた、が…」
「お若いのにはわかるかのぅ…家の意味はどんどん光の届かない…眼にみえないところに消えていっとる…家の中から見えないところに意味をホイホイ放り投げておるのじゃ…」
「家庭という意味がどんどん外部化されているということ…?」
「まぁそういうことじゃ…やがて家は闇に包まれる…今は薄闇…まだ見える。目を凝らせば意味がわかる。見える内に気がついて欲しいものじゃ…」
老人は一息つくと、
「家の意味を知らぬ孫が不憫でのぅ…夕闇に取り残された迷子のようじゃ…」

テープは止まった。

薄い闇の後に来るのが、本当の闇と捉えるのがこの人…
僕は、薄闇の向こうに新しい朝があるのかもしれないとも思う。
今まで家は形を変えてきたのなら…これからも家というのが、一応続いていくんじゃないかと思う…
或いは…もっと他の形になるか。
まぁ、家という枠なんて僕は知らない。だからそう思えるのかもしれないね…
そう言った夜羽は、やはり一人だった。


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