テープ86 虫


意外と、虫という言葉の意味する生物は幅広い。
昆虫然り、蜘蛛然り。或いは、寄生虫やミミズまで虫という言葉の範囲に入ることがある。
そして…大概嫌悪の対象になるんだよね。
この話を聞かせてくれた人もそうだった…

カチャンと乾いた音がし、テープが廻り出した。

「虫がですね…いるんですよ。虫が…」
客は早口だ。早口で似たようなことを繰り返している。
「虫がいるのですか…どこにですか?」
夜羽はいつものように話している。
客は「虫が虫が」を繰り返す。
夜羽は軽い溜息を付くと
「もしかしてですけど…身体の中とかですか?」
そう、問う。
客のうわごとが止まる。
「いえ、江戸川乱歩でそんなのがあったかなぁ…なんて思いまして…」
夜羽が少しいい訳がましく喋る。
客は黙っている。
黙る客に気が付き、夜羽は怪訝そうに「あの…?」と問い掛ける。
やがて客は自嘲まじりに笑うと、
「そう、体内に…虫が…」
それだけを言った。

「では質問です。いつから虫がいるとわかったのですか?」
客は少し考える。
「虫に気が付いたのはここ二三ヶ月です。こんなに成長しているのだから、もっと以前に身体に入れられたに相違ありません…」
「もっと以前に?」
「そう…昔々の林間学校だったかもしれません…その時隣りで眠っていたあいつの行動は怪しかった。いや、宴会のつまみと共に入れられたのかもしれません…同僚がぐるになって…私の方を見ようとしなかったし…。ちがう、きっと妻だ…妻は私を憎んでいるはずだ…あの態度…呼びかけても答えない態度…」
客は怪しい人物を列挙する。
しかし、その列挙内に確たる証拠は一つも無い。
…隣りの奥さん。スーパーのレジ打ちの女性。動物園で触れようとしたうさぎ…
どれもこれも触れたという事実さえも曖昧なものばかりだった。
客が列挙に一息ついた頃
「ええと…」
と、黙っていた夜羽が口をはさむ。
「はい?」
「あ、よろしいですか?ええと…それらの方々の誰かから虫をいれられて、今、虫が体内にいるのですよね?」
「そうです」
「誰が虫を入れたかは…」
「わかりません」
意外と客はキッパリといった。
「ただ、皆が怪しいのです…誰もが私に恨みを持っているような気がします…私は何もしていないのに…虫を、虫を…」
「はぁ…」
夜羽はとぼけたように相槌を打った。

「ところで…虫が体内にいる感触というのはどういうものですか?」
夜羽が問う。
客が答える。
「見ればわかりませんか?」
「すみません、虫がいる事はわかるのですが…」
客が少し間を置いた。
「こんな風に皮膚と筋肉の間を這い回られるのは…最悪の感触です…時々おもてに出てくるのも…」
その時、湿った音がしたような気がした。

テープはここで終わっていた。

僕も虫は苦手な部類に入る。
身体の中にいるなんてまっぴらごめんだね。
それでも…身体の中に虫がいるかどうかなんてよくわかんない。
外から見て分かるようになったときは、もう、手遅れじゃないかと思うんだ…
夜羽は口元を歪めた。嫌なことでも思い出したのかもしれない。


妄想屋に戻る