怪談:働き者教科書


僕は教科書をたくさん読みつぶしてきた。
小学生で初めて手にした、絵本でない、教科書というもの。
学年が変わるごとに手に入れる、新しい世界の扉。
たくさんの教科書を読み、
たまには落書きもし、
たまにはしわしわにもした。
今まで触れた教科書で、
すべての知識が腑に落ちたかというと、そうでもない。
でも、学生である限り、
教科書はまず間違いなくあって、
記されていること以外にも世界があることを、
卒業する頃に分かる。

学生を卒業して、
教科書は実家の物置にしまわれた。
教科書を読むよりも、社会に出てどう動くか。
そういったことを僕は求めた。
がむしゃらに仕事をして、
謝って、怒られて、落ち込んで。
どうすればいいかなんて、
社会に出ての教科書はない。

若干落ち込みがちになりながら、
とある休日に実家にやってきた。
教科書が気になったのは、単なる思い付きだ。
親が、処分しようか迷っていたと言ったのが、きっかけかもしれない。
僕が物置に入ると、教科書は物置の一角を占拠していた。
そこに、へたくそな字で書かれた、冊子。
曰く、働き者教科書。
僕が書いたのかもしれないと思い、
働き者教科書を読む。

それは、学生の頃は見えなかった大人の社会を、
どうやって渡っていくかのアドバイス。
今まで教科書で得てきた知識を、
狭い世界でも体得してきた知恵を、
大人ならではの難しさを、
働くということはどういうものなのかを。
僕が知りたいことが全部詰まっていた。
誰だろう。
こんな本を書いたのは。

冊子の最後に、やはりへたくそな字で記されていた。
曰く、
教科書で得たことは、きっと役に立つはずです。
一生のうち、少しの時間ではありますけれど、
君の知識になれてよかった。
僕たちは君のために働いた、働き者教科書。
君のための最後のお仕事。
働く君のための教科書。
僕たちは、君の中で生き続ける。

そこまで読み終わって、ふと、視線をあげると、
あれほどあった教科書は一冊もなくなっていた。

教科書を開くように扉を開く。
働き者の教科書がそれを望んだように。
新しい経験に飛び込んで行け。
世界はこんなにも広い。


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