涙も乾く部屋
鮮やかな緑色に染まった、ネフロスとパキラの、髪と瞳。
そして、ごみくずに変わった、害虫。
タムはほうけたように、その光景を見ていた。
ネフロスが、ぶんっと大きな金色の剣を振り回した。
「解除」
ネフロスは宣言し、目を閉じた。
すると、金色の剣は、徐々に光を失い、やがて蒸発するように消えた。
ネフロスの髪は黒に戻っていき、
再び目を開いたとき、ネフロスはいつもの鋭い黒い瞳に戻っていた。
「解除」
パキラの声がする。
そちらを見れば、パキラの赤い鞭がなくなり、パキラの髪と瞳が黒く戻っていくところだった。
ネフロスがタムのほうにやってくる。
タムは一瞬、ひるんだ。
忘れていたが、これは一体どういうことなのか。
この力はなんなのか。
化け物を瞬く間に葬ったこれは一体なんなのか。
ネフロスやパキラは一体何をしたのか。
ネフロスは、タムの肩にぽんと手を置いた。
あまりに優しく置かれたので、タムは一瞬何がなんだかわからなくなった。
「説明は後でする。今は、ベアーグラスに会ってくれ」
タムはこくこくうなずいた。
タムは歩き出した。
ベアーグラスのいるであろうベッドへと。
パキラが何か声をかけようとした。
ネフロスがそれを制止した。
タムはベッドの側にやってきた。
ベッドには薄い布らしいものがかけられ、
そこに盛り上がった身体らしいものは、
人間というものの形をしていなかった。
腕もない。
足もない。
下半身は腰からない。
そして、見えているのは首から上だが、
白い髪の少女が黒くただれていた。
黒い瞳が、タムを見た。
微笑らしい表情を浮かべた。
そんな風に見えた。
『害虫予防の薬だね』
乾いた声がする。
声は、部屋全体から聞こえるような気がした。
『この部屋にグラスルーツを通して、心で話してるよ』
ただれた顔の、黒い瞳が微笑んだ。
タムはうなずいた。
タムはそっと、赤い袋をベアーグラスの側に置いた。
『ありがとう、これで、化け物に襲われないよ』
乾いた声は、うれしそうにそう言った。
『最後の記憶が化け物じゃ、嫌だもんね』
ベアーグラスの乾いた声は、努めて明るく振舞っていた。
「さいごの…」
タムはからからに乾いたのどから、声を発した。
『私は、害虫だけでなく、黒かびにもやられてる』
ベアーグラスが、ひゅうと、のどの音を出した。
『かびにやられている部分をとったら、これだけになっちゃったんだ』
ベアーグラスは、悲しいほど小さく乾いてしまっている。
黒い瞳は、それでも理性的な目でタムを見た。
『グラスルーツに私の記憶を残すよ。そしてまた、エリクシルにきっと行くから』
「また、会えますか?」
『きっと、私でない私。私は君をグラスルーツに残された記憶でしか知らない』
タムは口を結んだ。
何を言えば元気になるだろう。
何を言っても、ベアーグラスは遠くにいるような気がした。
『エリクシルにいれば、銃弾かじって危険なこともするよ。それでも…』
「それ、でも」
『私はエリクシルが好きで、生まれ変わってもまたエリクシルに行きたい』
乾いた声は、静かに意思を伝えた。
「待っていますから」
タムは、からからに乾いたのどから告げた。
「エリクシルにいますから、待っていますから」
ベアーグラスの黒い瞳が微笑んだ。
『私は、多分、死ぬ』
ベアーグラスの乾いた声は、淡々と告げた。
『そして、また違うベアーグラスが、エリクシルに向かって…』
「違うベアーグラスさん…」
『うん、そして、グラスルーツから、君の事を思い出す。泣き出しそうな君のことを』
タムはあわてて頬を袖でぬぐった。
何も雫はなかった。
『ここは涙も乾く部屋だよ』
ベアーグラスは歌うように言った。
『君が待っていてくれるなら、私は風に導かれてエリクシルに行こう』
「待っています」
『君が待っていてくれるなら、私はグラスルーツに記憶を残そう』
「待っていますから」
『君が待っていてくれるなら、私は私が滅ぶことを恐れない』
「そんな…」
『君が待っていてくれるなら、また会うときに、君の名を聞きたい』
「僕は」
『私はカレックス・ベアーグラス。覚えていて。覚え…』
不意に声が途切れた。
ベアーグラスの瞳が閉じられ、
ベアーグラスは全ての器官を乾かした。
ベアーグラスは死んだのだ。
タムは涙も出なかった。
涙も乾く部屋だったのだ。