内緒の花


その大人の人は、微笑んで言った。
「内緒にしてもらえると、ありがたい」
だからあたしは内緒にする。
初めて、誰にも言わない、内緒のこと。

あたしは、小さな村に住んでいる。
お父さんが鍛冶屋をやっていて、
あたしはそこでお手伝いしたりしている。
本当に小さな村で、
あたしにとっては、まだそれが全部だった。

その人は冬のある日、ひょっこり村にやってきた。
背が高くって、荷物袋を背にしている、おじさん。
護身程度の武器は持っているみたい。
なんだろう、最初は不思議な人と思った。
目つきが鋭いのに、
あたしを見たとき、穏やかに笑った。
なんだか、寒いところに、すっと日がさしたような、
そんな不思議な微笑みの人だった。

その人は、お父さんの知り合いだったみたい。
諸国を放浪しているというのまではわかったけど、
この人が何をしているのかは、さっぱり。
「しょうけいさいいざよいりはく?」
あたしは、その人が何か唱えたので、そのまま聞き返す。
「松景斎 十六夜 理白。理白(りはく)おじさん、だな」
ああ、名前だったのかとあたしは思う。
「りはくおじさん?」
「そう、理白おじさん」
理白おじさんはそういうと、
「おじさんって年になったんだな、俺も」
と、苦笑いして見せた。

理白おじさんは、
はさみを手入れしてもらいに、
この村までやってきたらしい。
はさみを使うって何をしているのか、
理白おじさんは謎が多い。
あたしはさっぱりわかんない。
お父さんは早速はさみの手入れにかかって、
あたしは、理白おじさんに請われるがままに、
小さな村の案内をすることにした。

花も咲いていない冬の村。
それでも、この日のような、ちょっとずつ暖かい日があって、
春が近いことをうかがわせている。
あちこち案内して、
最後に、お気に入りの小高い丘に連れて行く。
「これはいい眺めだな」
理白おじさんはうれしそうで、
あたしもなんだかうれしくなった。
「花の咲くころは見事だろうな」
あたしはうなずく。
「そういえば、知っているかな」
「なにを、ですか?」

「桜の下には、鬼に焦がれた女が埋まっている」

風が、吹く。
あたしはなんだか、寒い感じがした。
理白さんが、何を言っているのか、
少しわからなかった。

「だから、花は狂気をはらみやすい」
「狂気…?」
「俺も狂気に魅入られたのかもしれない」
「…理白おじさん?」
おじさんは何を言っているのだろう。
「君も、花のようだね」
あたしは動けない。
理白おじさんが、あたしを見つめている。
花を見るように。

理白おじさんは、そっと身をかがめた。
あたしの耳元に、口を寄せて、ささやく。
「内緒にしてもらえると、ありがたい」
低い声で。そっと。
理白おじさんは、身を離すと、
また冬の日差しのように穏やかに笑った。
それだけ。
それだけなのに、
あたしは何かとんでもない内緒を持った気分になった。

程なくして理白おじさんは、
手入れされたはさみを手に、また、旅に出たらしい。

誰にもいえない。
あの丘のことは、誰にも言えない。
あたしがはじめて持った、
誰にもいえない内緒。


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