たとえばこんな
鏡に向かって笑いかけてみるらしい、
フードをかぶった、多分男が一人。
全体ねずみ色のローブとフード。
目深にぶかぶかしていて、
前が見えているかも怪しい。
体格はよくない。多分小柄な分類になる。
「がんば!」
男は、鏡の中の己に、そういったらしい。
こくこくうなずいて、
また、笑顔を作る練習をする。
口元はがんばって笑みになっているが、
どうにも引きつっている。
目深のフードの中では、どんな目をしているかわからない。
「何をしている。菅野殿」
菅野と呼ばれたフードの男は、
思いっきりびっくりして、
そのあとそろりと振り返る。
「…立川殿」
立川と呼ばれたのは、屈強な戦士だ。
武士。そういうのがとてもしっくり来る、武人だ。
民の模範となるように。
そうやってまっすぐ育ってきた男だろうと、
菅野は思う。
死者を扱う魔術師の、菅野とはぜんぜん違う男だ。
「女でもあるまいに、鏡相手に何をしていた」
「別に、関係ない」
菅野はそういいながら鏡をしまう。
どこから見られていたか、わかったものではない。
「魔術師の連中は口ばかり達者だ」
「うるさい」
連中というが、この場合、菅野に言われていることは、容易に察しが付く。
立川は軽くため息をついた。
「こわくなったか?」
「…別に」
「敵前逃亡したお前のことだ、命も惜しかろう」
「…別に」
いいながら、菅野は思い返す。
兵を繰り出しても、
死人の兵にして送り返しても、
負けなかったやつらのことを。
死者を操る自分が、
死にかけたということ。
とっさに逃げた。
何も考えず、とにかく生き延びたいと、そのときは思った。
逃げた菅野は、降格の憂き目にあった。
でも、それ以上に、やはり、
こわくなった。
戦場が、死が、今まで呼吸のように使ってきた魔法が、
こわくなった。
「明日、攻撃だ」
立川がいい、菅野はうなずく。
今度は、ぬるい真似はしない。
全力で戦って…死ぬかもしれないと、やっぱり思う。
(がんば!ふぁいと!)
心の中で菅野は己を鼓舞する。
握りこぶしをローブの中で作って、
力をこめる。
「魔術師は余計なことを考えるから良くない」
立川は苦笑いしながら言う。
「己の役目だけを考えろ。戦場はそういうところだ」
立川は、その場を去ろうとする。
「待ってくれ!」
菅野は反射的に言っていた。
フードをかぶった頭の中で、ぐるぐると言葉が回り、
「立川、どの、ふぁいと、ですぞ」
最近覚えた変な言葉。
意味は知らないが、多分、あっている。
立川は笑った。
「役目を全うしたら、ほめてやる」
菅野はうなずいた。
こくこくと。
役目を全うしたときは、死ぬときだろうか。
逃げるより、その方がいいと思うようになったのは、
やっぱり、この武士に影響されたか、
あるいは、役目を全うすれば許されるような。
菅野はそんな気がした。
鏡をのぞかなくてもわかる。
いま菅野は、笑っているに違いない。