箱物語(仮)01


彼女には、見えるのだ。

彼女は、そうなるための資格があった。
見える、こと。
彼女には箱が見える。
それは大切な箱だ。
持つ人にとって、とても大切な箱だ。

「過去の箱」
彼女の所属しているチームでは、
箱はそう呼ばれる。

「人は、記録を過去の箱にとっている」
上司がそう言っているのを、彼女は聞いたことがある。
「過去の箱が記録でいっぱいになったとき、人は、死ぬ」
過去の箱が見えないものにとっては、
それは戯言と取られる。
しかし、彼女には箱が見える。
彼女の所属しているチームも、箱が見える。
見えないものもサポートとして回されるが、
過去の箱の存在を信じている。
感じるのだ。

彼女は待機室の自分の席に座った。
いつものように。
今は待機していろということらしいから。
彼女は、自分の電子箱の電源を入れる。
情報をやり取りする箱だ。
これは、過去の箱ではない。
どちらかといえば、
外付けの記録装置に近い。

「ルカさん、また何か調べているんですか?」
彼女の名前が呼ばれた。
彼女はルカ。
呼んだのは男。
名前をヤンという。
「待機時間、何に使うものでもないし」
「ルカさんの、過去の箱がいっぱいになっちゃいますよ」
「過去の箱のバックアップも取れるわ。空き容量を残しておいたほうがいいし」
「それで、『仕事』のことも処理してるんですか?」
ルカは黙った。
ヤンはちょっと、しまったという顔をした。
あわてて話題を変える。
「何か温かい飲み物でも入れます?」
「花のお茶が好きなの」
「ジャスミンでいいですか?」
「それしかないんでしょ」
「その通りです」
ヤンは給湯室に向かった。

ルカは電子箱に情報を打ち込み、
自分の過去の箱から情報を外部に出しておく。
電子箱が壊れてしまっても困ることのない情報を中心に、だ。
電子箱は忠実に記録する。

やがて、電子箱に記録を終えた頃、
花の香りがした。
「はい、ジャスミン茶です」
「ありがとう」
ルカはジャスミン茶をこくりと飲んだ。
「お茶、おいしくなったわね」
「どうも」
ルカは電子箱の電源を切った。
「調べ物が終わったんですか?」
「もともと何も調べていなかったわ。バックアップくらい」
「このチームにいると、記録が怖くなりますからね…」
ヤンは電子箱を見る。
電子箱につながるディスプレイがあるが、
それは今は何も映していない。
「いついっぱいになってしまうか…あるいは、その記録は本物か…」
「過去の箱…俺は感じるだけですけど、ルカさんは見えるんですよね」
「ん…見える」
「どんな感じですか?」
ルカは見えないヤンにわかるように言葉を選ぶ。
「人によって様々だけどね…箱と思えるものが…生えてるといえばわかる?」
「生えてる?ええと…過去の箱の反応地点が違うってことですか?」
「ヤンはそうね。あなたたちの反応地点のところに、過去の箱は生えてる。容量も様々大きさも様々よ」
「頭や背中…腕だったり足だったり…」
「そこに箱が生えているように見えるの」
「わかったような、わからないような」
「それでいいのよ」
ルカはジャスミン茶をまた飲んだ。

彼らは、過去の箱の重要性を感じる、国の偉い人がトップのチームだ。
「パンドラの箱・記録追跡課」
ルカやヤンはそこに所属している。
チーム・パンドラの箱は、
過去の箱にまつわるトラブルを請け負っている。
過去の箱は個人が個人であるための証でもある。
確かに記録でいっぱいになっても、死んでしまうが…
過去の箱に記録された情報が、本当に本人の記録か。
それによって様々の弊害がある。

ルカの端末に連絡が入った。
コンパクトの、小さく縦長のものを開くと、
上司から記録が送られてきた。
ルカは自分の過去の箱に記録する。
「ヤン、仕事」
ジャスミンの香りでルカが短く言う。
肩までの黒髪をふわりとさせて、席を立つ。
濃い灰色の制服のスーツのジャケットを羽織る。
ヤンはやはり同じ灰色のスーツをあわてて席から持ってきている。
「5番区。とりあえずはそこに直行。反応があるやつがそうよ」
ルカは端末の記録を、ヤンにも回す。
ヤンはルカより、手も背も、ふた周りも大きい。
それでも、過去の箱の大きさが比例するかというとそうでもない。
ヤンはいたって普通の過去の箱を持っている。
ヤンは記録をしたようだ。
大きな手が端末を返してきた。
ルカは端末を受け取ると、右腰に下げた。
「装備課によってから行くわ。車の準備しておいて」
ルカはヤンに指示を出し、装備課に向かった。


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