昔のお話


「まぁ、ちょっと昔の話だ」
おじさんは語りだした。
「あちこち戦争があって、グラスのあちこち荒廃していたのさ」
「グラス?」
ネジが問い返す。
「あ、それもわからなくなってるか」
おじさんはあごに手をやると、
「うーん、地域、みたいなものかな。この世界は7つのグラスでできている」
「ふむふむ」
ネジはうなずく。
「それで、戦争が終わったわけだ」
「ふむ」
「今度は荒れた世界を、どうしようかってことになった」
「そうなるよね」
「中央都市で開発されていた動力が、そのとき導入されたんだと聞いている」
「中央都市はグラスの中にあるんだね」
「そうだ」
おじさんはうなずく。
「で、そのとき導入された動力が、喜びの歯車だ」
「喜びの歯車」
「確かに喜びだな、空気は毒しないし、平和に扱うことになっている」
「ふむふむ」
「この町にも、ずいぶん前に歯車が導入されて」
「うん」
「食べたチーズも歯車動力でやっているのさ」
「なるほど」
ネジはチーズをかじる。
これも歯車なのかと納得する。

「兄さんは聖職者なのかい?」
おじさんが問う。
「記憶がごちゃごちゃしてるので…」
「ふぅん、でも、一見聖職者だな」
「そうなのかな」
「まぁ、ゆっくり飲め」
「はい」
ネジは地酒で口を湿らせる。
どうにもこの地酒は強い。
「おじさん」
「うん?」
「聖職者はどんなことをするんですか?」
「うーん、祈り、教え、弔いをするとか聞いているけどな」
「とむらい」
「兄さんの黒い服は、弔っているようにも見えなくないな」
ネジは自分のケープを引っ張った。
どこも真っ黒だ。
コートも真っ黒、シャツも真っ黒。
帽子まで真っ黒だ。
弔うという感覚が、いまいちつかめなくはあるが、
たぶんネジは記憶をなくす前は聖職者だったのだろう。
ネジはそんなことを思った。

「どうだ」
すっと声が入ってくる。
カウンター席の隣に、気配を感じさせずにサイカがいる。
「世界がグラスで歯車なんだって」
「まぁ、大筋聞いたか」
ネジはうなずく。
「歯車の仕組みは外部だけではない」
サイカがつぶやく。
「外部だけではない?」
ネジが繰り返す。
「命は時計仕掛けでしかないってことだ」
「それは命が限りあるってこと?」
「そうともいえるが…」
「いえるが?」
「イメージよりももっと、命は時計仕掛けなんだ」
「ふぅん…」
ネジは地酒を口にする。
地酒を入れたグラスが輝く。
世界もこんな風にグラスの中に入って浮いているのかな。
ネジは爪でグラスをはじく。
澄んだ音色がする。

「兄さんは何を飲む?」
おじさんが声をかけてきた。
「俺は飲めないから、果実のジュースはないか?」
「リンゴとオレンジどっちがいいかい?」
「オレンジで」
サイカとおじさんがやり取りする。
ネジはふわふわしながら聞いていた。

命は時計仕掛けで、
サイカは酒が飲めなくて、
おじさんは物知りで、
グラスが世界で、
昔戦争で、
喜びの歯車で、
みんなが喜んでいる。
ネジの中でふわふわイメージがあまれる。
やばいなぁとネジは思う。
よくわかんないけど、うとうとする感じがする。
「おい」
「んー?」
「酔ったな」
「そうかも」
「戻れるか?」
「地酒もっと飲む」
「やめとけ」
サイカはぴしゃりという。
「二日酔いになったらつらいぞ」
「うー」
「肩を貸すから、戻るぞ」
「うん」
「歩けるか?」
「うん」
ネジはとろとろと立ち上がり、サイカの手助けを借りて酒場を出ようとする。
「酒代は宿につけといてくれ」
「あいよ、兄さん」
ネジはそんなやり取りを遠くで聞いていた。

くらくらするネジの頭の中で、
遠くに声がする。
「聖職者さんが…いると聞いて」
女性の声だ。
おじさんが何か言っているが、
ネジにはもう聞こえなかった。


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