泥棒ハリー


「今の僕は、ハリー。ハリー・ホワイトローズって言うんだ」
ハリーと呼ばれた青年が右手を差し出す。
「握手しよう、ネジさん」
ハリーはニコニコ微笑んでいる。
ネジはそっと手を取る。
握手したはずなのに、影でもつかんでいるような感覚だ。
影をつかんだことはないが、こんな感じではないだろうか。

「ハリー・ホワイトローズ、泥棒か」
サイカがつぶやく。
「聞いたことがあるな、中央からあちこち荒らしまわっているという」
「僕も知っているよ、ボルテックス」
ハリーはサイカに向けてボルテックスと呼ぶ。
ネジはそんな単語を知らない。
「今の俺は、サイカだ」
「ふぅん、なら、サイカさんでいいのかな」
「サイカでいい」
「フレンドリーだね」
サイカは眼鏡を上げる。
ハリーはニコニコと微笑む。
ニコニコと笑うのは友好的なはずだと思うのに、
どうもよくわからない。
隠しているというか、実体がないというか。

「ハリーはうつろなの」
トリカゴが言う。
「私が狂っているという、喜びの歯車も、ハリーには理解できないの」
「僕は典型的な模写師でね」
ハリーが笑う。
「もしゃし?」
ボルテックスに続いて、なんだかわからない単語が出てきた。
「模写師はね、ランクが上がればなんでも模写できるんだ」
「つまり、トリカゴさんになりきることも?」
「微笑が似てたでしょ」
ハリーはくるりと回って見せる。
次の瞬間、眼帯の左右の違ったトリカゴになる。
再びくるりと回る。
次の瞬間、ハリーと呼ばれる青年の姿になる。
「模写師は自分の考えを持たないほうがいい。そのほうが完璧になりきれる」
「ならなぜ歯車を盗もうとしたのですか?」
「うーん…説明しづらいんだけどさ」
ハリーはちょっと困った顔をする。
「歯車が狂っているのなら、うつろの僕と共鳴するかなと思ったんだ」
「それで盗もうと?」
ネジは重ねてたずねる。
「うん、でも、触れて理解できるものじゃなかった」
「理解できなかったんですね」
「うーん、すごい仕組みの一端だということは、わかったけどね」
それはネジにもわからない。
サイカやトリカゴは、わかっているのかもしれない。
あるいは、涙になったニィ。
あるいは、中央に今でもいるかもしれない研究者とか。
「僕はうつろなんだ」
ハリーは言う。うつろだと。
「うつろだからね、模写師だからね、唯一の存在にあこがれるのさ」
「唯一?」
「うん、トリカゴがいっていた。輝く感情とか」
「ふむ」
「あとは、量産型歯車じゃなくて、中枢の歯車に触れてみたいとか」
ハリーは笑う。
無邪気に笑う。
「僕は世界のうつろなのかもしれないなんて、大それたことも考えてるよ」
「でも、ここにいるじゃないですか」
「ここにいないかもしれない」
「いますよ、影のようでも、いるんです」
ネジは少し強く言ってみる。
ハリーは微笑を崩さない。
「影のよう、か。それもまたいいね」
ハリーはうんうんとうなずいた。

「今、僕の探している唯一はね、やっぱり歯車なんだけどね」
「喜びの?」
ネジはたずねる。
ハリーは首を横に振る。
「世界の中心から、欠けてしまった歯車なんだ。トリカゴが言ってた」
ネジもどこかで聞いたことがある気がする。
歯車がいくつか欠けていると。

それじゃ彼女は、世界の中心にいるのだろうか。

ネジの中で、
ネジの声がしたはずなのに、
ネジはその言葉を理解できない。

彼女?
誰だ。

ネジは頭をこつこつたたいてみる。
何が変わるというわけでもないけど。
町の生き残りの子どもが、ネジを見上げている。
「平気だよ」
ネジはつとめて明るく言う。
子どもは微笑んだ。
目が輝いている。
ネジはなんとなく感じた。
トリカゴの最初の計算では、
人々に、この目を取り戻すはずだったのかもしれないと。
誰が悪かったんだろう。
ネジはわからなくなった。


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