邪気夜行 1の物語
それは中華鍋だ。
中華料理店でたくさんの物を調理した、
働き物の中華鍋だ。
店の固有名詞がなくても話は進むが、
あえてつけよう。
豚豚(トントン)中華料理店。
そこが名無しの中華鍋の故郷だ。
豚のようなおじさんが、
強い火力にあおられて、
真っ赤な豚の形相になっている。
中華鍋はもっと熱い。
熱いのだが、熱いとか、痛いということを、物はよくわからない。
とりあえず、人でいうところの、鍋の仕事をこなす。
今日もさまざまの食材を中華鍋の中で転がした。
豚のようなおじさんは仕事が終わると、
ちゃんと中華鍋の手入れをしてくれた。
「明日も頼むよ」
おじさんの言葉は、鉄の体に響く。
明日。
明日というものが中華鍋に宿るのに、
そんなに時間はかからなかった。
豚豚中華料理店が、
さびしい場所になっていったのは、
豚のようなおじさんの老いがあったかもしれない。
客が減る、料理が減る、中華鍋の出番が減る、
収入が減る、食材が減る、何もかもが減る。
そんなことが連鎖していった。
中華鍋はすべてを知っているわけじゃない。
けれど、おじさんが、泣いていたのを知っている。
おじさんに、明日がなかったのを知っている。
ふつりと、豚のようなおじさんすら店に来なくなった。
中華鍋の知らないところで、
店の入り口に閉店の張り紙がしてあった。
おじさん、明日も頼むって、言ってたじゃないか。
中華鍋は豚のようなおじさんを思い出す。
明日って、嘘じゃないか。
嘘じゃないか、嘘じゃないか。
ああああ、料理を作りたいよ、
おじさんに会いたいよ、
火にかけて炒めたいよ、
おじさんを炒めたいよ、
おじさんに、また明日って、
また明日炒めたいよ。
全部火にかけて鍋で炒めたいよ。
そしたら、おじさん、
みんなのことも、料理してくれるかな。
僕を火にかけてみんな料理してよ。
人も野菜もお肉も全部。
中華鍋はつたない自我を持ち、
そして中華鍋には、その身に焼付いた、火の記憶。
それは邪な気、火の邪気を呼び寄せ、
中華鍋は鬼律となった。
それは鬼律。
中華鍋の鬼律。