怪談:くらやみ


見えることが全てでなく。

さて。
百には届かないけれど、
怪談話はここでおしまい。
いろいろな話があったかと思うけれど、
どれか、気に入ってもらえたら。
筆者としては冥利に尽きるものです。
気に入った話がないときは。
筆者の力不足です。
もうちょっとがんばるよ。

さて。
今回の怪談話のラストは、
くらやみ。
与える意味としては、
見えることが全てでないと思う、それだけ。
見えないもの、聞こえないもの、
感覚が何もないと訴えている。
そこに、何も存在しないと誰が言えるだろうかと思う。
怪異はそういうところにもあるし、
また、何もかもが存在している中にもあると思う。
くらやみは、どっちでもあると思う。
全ての色があり、全ての色がない。
無であり全であると思う。
そんなことを考えた。

暗闇には、あなたを見張っている何かがいる。
それは、おばけや幽霊かもしれないし、
あるいは、生きている人のそれかもしれない。
彼らは暗闇の住人。
存在しないと捨ててしまっては、
少し世界がさびしくなってしまうものだ。
怖いかもしれない。
得体が知れないかもしれない。
けれど、彼らもあなたのことを、
知りたいと思うし、同じように得体が知れないと、
思っているかもしれない。

陰と陽が接していると風水が立ち現れると言う。
クーロンでおなじみのそれだけど。
陰と陽が接してぐるぐる回ると、
立ち現れるのは風水だけでなく。
様々の物事感情感覚、
あなた自身も、そうして立ち現れるものだと思うよ。

あなたの心の暗闇に、
あなたの世界の半分がある。
どうか、そこに暗闇があることを、大事にして欲しい。
この時代、心の暗闇を介さないと、
いろいろな原始的感覚を共有できなくなってしまった。
明かりはいつまでも明るく、
昼は忙しい以外何も出てこなくて。
たいてい光はありがたがられる。

それと対になるくらいの、暗闇を心に。
決してわかりあえないものを、心に持つこと。
わかるものだけじゃない。
あなたがあなたを理解できなくなって、
はじめて、あなたは生まれるんだ。

誕生日。
得体の知れない存在の、生まれた日に乾杯。


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