壷の場合
私の中は空っぽじゃないよ。
私の中には熟成したものがあるんだ。
私はふたをされた壷だと思って欲しい。
ふたをしないと大変なことになるんだ。
だから、とりあえずのふたがされている。
虫が入っているって?
そんなのじゃないよ。
私はね、炎の記憶から生まれたんだよ。
土をこねて、形にして、炎で焼かれる。
その炎の記憶が、私の中で形になっていて、
いまだに時々いろいろなものを燃やす。
だから、私にはふたがされているんだ。
そう、私の中には熟成された記憶が入っているんだ。
記憶が熟成されて、妄想になって、
うまれた土が全ての大地と友であったことや、
炎の熱い叫びも、
多分、私は人であった頃、そういうものの近くにいたんだろう。
だから、壷は私としか思えなかった。
何も入っていない壷には、
妄想を詰め込まなければいけないと思うようになった。
そうして私は壷の妄人になった。
空虚な感覚があるのではないかと、
よその妄人から問われることがあるよ。
壷のイメージは、どうしても何か入っていないと空っぽだからね。
さっき述べたように、私の内側には炎の記憶が詰まっている。
私を焼いた炎。
私を壷に育て上げた激しさ。
焼き物の妄人に会うことは少ないかもしれないけれど、
やつらはみんな、内側に炎を宿している。
そのくせ、育む大地の優しさも知っている。
私のように記憶にふたをしないと困るようなのは少ないと思うけれど、
妄人になっていなくても、
焼き物の声を時々聞いてあげて欲しい。
使ってあげて欲しい。
私の内側の炎の記憶は、
今のところふたをしてあって、
外まで燃やすことは少ない。
それでも、人としての頃の原始の記憶と結びついて、
連想することはあるよ。
炎の記憶は、赤子が生まれるときの記憶に似ているんだ。
もしかしたら、
私の中にあるのは記憶だけでなく、
妄想から生じる新しい何かなのかもしれない。
妄想も熟成させれば、
新しい何かになるのかもしれない。
私は人、私は物。
私は妄人。
妄想の果てに物になりかかっている、妄人。
私は壷の妄人。