緑に呪われた
甘い香りが漂う。
この香りは植物を制圧した香りの一つ。
この町を、この世界を、今もなお呪っている植物を、
特定の種ではあるが、制圧して得られる香り。
過剰に繁茂しようとする植物を、切り刻み手なずけて、
植物に対する命の危険を冒して。
そうして得られるこの甘い香り。
種を乾かし、焙煎し、砕き、ドリップする。
いわゆるコーヒーである。
白い壁と赤い椅子。
テーブルがいくつかと、
大きな銀の排気口。
そんな部屋の中、一人の女性がいる。
黒い長い髪を大雑把に背中で結んだ、
色気のない、動きやすさを重視した服装。
鋭くはないが、力のある眼差しをしている。
彼女の名前はアキ。
アキはじっと焙煎装置を見ると、
甘い香りのする、苦いコーヒーを口に運んだ。
このコーヒーも植物だった。
だった。過去形。
人間を、動物を、この世界を呪い続ける植物だった。
だから、味覚に苦いのかもしれない。
焙煎の火で焼かれてもなお、呪い続けるのかもしれない。
アキの聴覚に女性の声が歌っている。
仮想の狂気、と。
狂気も何も、と、アキは思う。
この世界のバランス自体がもう狂ってしまっている。
アキは、赤い椅子のカフェで仮想空間の狂気を聞く。
コーヒーを一口。
このお話は、
アキこと助川アキを中心にお届けする、
現代よりもちょっと未来よりの、
ありえない世界のお話だ。
この世界は、植物に呪われた世界だ。
植物が過剰に繁茂し、
人や動物の居場所を侵していった。
緑に覆われたこの世界。
植物の根でいろいろなものが侵食される。
それだけでなく、植物は一種の毒素を花につけるようになった。
花毒(かどく)と呼ばれるそれは、
摂取を重ねるごとに、細胞が植物化していくもので、
人が完全植物化したそれを、
旧大都市のあたりで見ることができる。
植物の花が危険だと思われていなかった頃の、
平和で無知だった頃の悲しい名残だ。
植物は、旧大都市で被害を大きくしていった。
人ごみが花毒による被害を増幅させていった。
人から人へ、毒は精度を高め、押し込められた空間で、
花毒は猛威を振るっていく。
首都レベルの都市は、植物の侵食と花毒による人の植物化で、
静かに壊滅をしていった。
そんなわけで、この国は、あちこちの地方に分権をしていった。
アキのいるネオ水戸シティも、
旧首都トウキョウからあまり遠くない、
地方都市のひとつだ。
首都レベルでなく、大都市でもなく、
他の町と同じように、緑に呪われている、そんな町。
物語はここから始まる。