小指の約束


スミノフは、ようやく笑顔を見せた。
リタはそのことに安堵した。
サファイアは、今までのことを黙って見ていた。
そして、サファイアは肩の力を抜いたような表情を見せた。
「笑顔が似合うね」
サファイアはそう言う。
義眼でも見えるらしい。
スミノフは、はにかんで笑った。
「だってリタが、バカなことばっかり言うんだもん」
「バカとは失礼だなぁ」
リタは、笑いながら返す。
「バカだもん。バカで天然で、お子様」
「ひどい言われようだよ、まったく」
はたとリタは思い当たる。
天然?
誰かそんなことを言わなかったか?
リタは考え込む。
スミノフは、ぺちとリタを叩いた。
「他の人のことなんて考えないでよ」
「じゃあ、何を考えればいいの?」
「世界のこととか、いろいろ」
「スミノフのことを考えるのは?」
「僕のことは、僕が考えるもん」
リタは悩んで、話し出した。
「世界の鍵は、僕らが握ってるんだし…」
「…うん?」
「僕らのことは、僕らで考えようよ」
スミノフはうつむき、
考え、
そして、リタに向かってうなずいた。

サファイアが時計を見た。
「そろそろ、眠ったほうがいい時間だよ」
サファイアは、蒸気伝言管を見る。
「これ以上の警報もないし、火恵の民は、ひとまず収まったのかもしれない」
「そうだといいですね」
そう言い、リタは立ち上がる。
そして、スミノフに手を差し伸べる。
男勝りのスミノフが、お姫様のように手を差し出す。
スミノフの中で、何か変わったのかもしれない。
「じゃ、僕たちはこの辺で」
「ああ、ゆっくり休みなさい」
リタはスミノフの手を取り、先にたって歩き出した。
スミノフは、戸惑いながらついていった。

扉を開けて、廊下に出る。
蒸気が少し薄い。
その中、蒸気光石が光っている。
リタはスミノフの部屋の前まで、スミノフを導いた。
スミノフは、戸惑いながら、扉の前に来る。
扉を開けようとして、振り向く。
「約束して」
「約束、ですか」
「また会えるって、約束して」
スミノフは小指を差し出す。
リタはうなずき、小指を差し出す。
「ゆびきりげんまん」
「うそついたら、はりせんぼんのます」
「ゆびきった」
表側の世界の約束の言葉。
小指が離れる。
かすかなぬくもりを残して。
名残惜しそうに、スミノフは、手を下ろした。
「バカ」
スミノフがつぶやく。
「なんとでも言ってください」
「バカバカ」
「気がすむまで、なんとでも」
「火恵の民が人さらいしてるかもしれないのに、なんでそんなにしれっとしてるんだ」
「僕がスミノフさんを選んだから、そうなったんです」
リタはきっぱりという。
「だから、責任は僕にあります」
リタは、スミノフの目を見る。
黒い、きれいな目を。
「だから、スミノフさんが乱れることはないんです」
スミノフはうつむく。
リタは、その頭をなでた。
「また会えますよ。約束したんですから」
「やぶらないでね」
「はい」
「約束だよ」
「はい」
スミノフは何度か念を押し、扉を開いて、部屋に戻っていった。
リタはしばらく立ち尽くした。
あんなに不安がっているスミノフをはじめてみた。
ひとえに、女神などという大きなものの所為に違いないと思う。
リタはゆっくり部屋に戻る。
扉を開き、滑り込む。
最低限のものしかない部屋。
きっと、今日が最後の夜になる。
裏側の世界でそう言っていた。
世界は一つになろうと動き出している。
それは、痛みを伴うことだ。
それは、とても力の要ることだ。
それは、意思がないとできないことだ。

リタは靴を脱ぎ、ベッドに転がる。
髪ゴムを解く。
また、スミノフに結んでもらおう。
また会える。
きっと会える。
約束をしたんだ。

リタはまどろむ。
どこかのさざなみが聞こえる。
そして…

やかましい目覚ましの音がした。


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