彼女の柱
リタは乱暴に出入り口の扉を開いて、飛び出す。
扉を乱暴に閉じた。
申し訳程度の階段を飛び降りる。
駆け出す。
ゆがんだ路地の果てから。
蒸気管がゆがんで取り付けられている。
ほんの数日前、スミノフとともに歩いた路地。
今、リタは一人でこの路地を走っている。
ゆがんでいる。
スミノフが倒れそうにもなったっけ。
あの時は何の気もなく支えた。
そのスミノフが、世界の柱になろうとしている。
プロジェクト・リキッド。エーテル。
スミノフは全部知っていた。
最初から全て知っていたわけじゃないだろう。
でも、リタより早く、スミノフはそこに行きついたのだろう。
路地から通りへ。
黄銅の門を目指す。
リタは走る。
長い髪が、よくまとまってなくて、うるさい。
(スミノフ)
リタは心で呼びかける。
(髪をまた、まとめてくれないかな…一人ではそれすら出来ないんだ)
鼻の奥がつんとした。
また、失う気がどこかでした。
黄銅の門を抜け、
中央火球広場にくる。
リタは中央火球を見た。
赤く輝き、心臓のように動いている。
鼓動だろうか。
錆色の町が、急激に動いているのだろう。
蒸気管は、激しい脈のようにびくびくしている。
リタは、スミノフを探した。
そっけない白のシャツ、青のジーンズ、くたびれた靴。
ショートの黒髪。
黒い目。
そしてリタは見つける。
中央火球の上に立つ、スミノフの姿を。
「スミノフ…」
リタは火球に近づく。熱い。
「降りてきてよ。危ないよ」
リタは呼びかける。それでもわかっている。
熱くなどなくて、スミノフは別の次元にいるのだと。
「スミノフ…」
リタは再度呼びかける。
スミノフがリタを見た。
間違えるはずもない、黒い目。
微笑んだ。
「この町の名前で呼んでくれるんだ」
「スミノフはスミノフじゃないか」
「いっぱいスミノフがいることを、君は知っているはず」
リタは覚えている。
雨恵の町に流れ込んだスミノフが、何人もいたことを。
「それでも…」
リタは言葉を搾り出す。
「僕にとっての唯一のスミノフだから。何度でも呼ぶよ」
スミノフの表情が、悲しそうにゆがんだ。
「それでも…君は行かなくちゃいけないことも、知ってて?」
リタは知っている。
世界をつながなくてはいけないこと。
女神は別の次元になる可能性が極めて高いこと。
世界が一つになっても、見つからないかもしれないこと。
記憶がそういっている。
「この町にいる限り、君は僕にとって、唯一のスミノフだ」
スミノフは目を伏せた。
肩が震えている。
抱きしめたいと思った。
泣かないでほしいと思った。
出逢ってほんの数日のことなのに、泣かせてはいけないと思った。
リタは中央火球に上ろうとする。
熱い。
じゅうと手が焼ける。
「スミノフ…スミノフ…」
スミノフはうつむいている。
そして彼女は、顔を覆った。
「スミノフ、髪を結ってくれないかな…一人じゃそれすら出来ないんだ…」
リタは努めて、苦痛を出さないように頼み込む。
普通の会話のように。
スミノフは、顔をぬぐった。
黒い目は、リタを見据える。
「リタ、君の本当の名前を思い出して」
「本当の名前…」
「スピリタス。それが本当の君の名前」
「スピリタス…」
「世界をつなぐ、羽の名前。思い出して。その羽を!」
スミノフが言い放つ。
リタは…上昇気流を思い出す。
身体が軽くなった気がした。
スミノフは中央火球から、一歩も動かない。
周りの風景が動く。
リタが少しずつ上昇しているのだ。
意識をすれば、その背に羽。
あのときの、羽。
「世界は君の意思でつながる」
スミノフが告げる。
「せめて君の意思が倒れないように、柱となって支えるよ」
スミノフは…笑った。
リタは急上昇していく。ほのかな光源に向かって。
スミノフが離れていく。
「見つけますから!きっと!」
いつものように約束は出来ないで…
指きりげんまんも出来ないで…
スミノフは小さくなる。
そんな中…いつかの旋律が聞こえた気がした。