痛みの果て
急激に動く感覚がする。
彼がぎゅうぎゅうと窮屈な世界から、押し出されようとしている。
(そのときが来たんだ!)
彼はそう思った。
『がんばって!』
誰かの声が聞こえる。
世界が動く。
締め付けるように、彼を押し付けるように。
それでも、どこまでも優しく、どこまでも苦しい。
どこかで風の乱れる音がする。
ひゅー…ぜー…はっ、はっ、はっ、
風が乱れている。
風は苦しそうだ。
何でこんなに苦しまなくちゃいけないんだ。
いたいいたいいたい
激痛が彼を苦しめる。
くるしい、いたい。くるしい、いたい。
なぜこんなに痛むの。
居心地のいい世界が、どうして苦しめるの。
彼は朦朧となりながら、痛みと戦う。
目は開かない。
ただ、赤い世界を感じる。
思い出の中の赤い世界。
今、こうして赤い世界。
体中を襲う痛み。
どうして、どうして、
どうしてぼくを、うみだすのですか
真っ赤な世界。
いたみいたみいたみ。
くるしいくるしいくるしい。
なんで、なんで、どうして。
感覚が閉ざされるような、開かれるような。
今までの感覚が閉ざされ、
光に向かって開かれる。
開かないまぶたは、世界を赤いものとする。
おねがい、つなげていて。
みんなを見つけなくちゃいけないんだ。
思い出を持っていないといけないんだ。
だから、つなげていて、つなげつなげ…
身体が冷たい。
冷たくなるような、熱くなるような感じ。
なんでだろう。
まるで自分は火の塊のようだ。
あついよ、つめたいよ、かなしいよ、かなしいよ。
いたいよいたいよいたいよ。
頭から出て行く。
居心地のいい世界から、
大きな、世界へと。
ひょお…
のどに風が入った。
かぜすすり。
そんな言葉を思い出した。
つないでいた箇所が切られる。
彼は一つの命として生まれた。
彼は産声を上げた。
風がのどを通っていく。
居心地のいい世界から、今、この世界へ。
四肢を伸ばす。
口を開く。
わかる限り動いて、生まれたての風を感じる。
何がなんだかわからない。
けれど、彼はここにいることを示したかった。
彼は大きく叫ぶ。
意味なんてない。
ただ、叫ぶ。
身体を洗われ、柔らかな感覚にくるまれる。
『おめでとうございます!元気な男の子です!』
ああ…産まれたんだ。
彼はそう思った。
もう痛くない。
痛くないけれど。さびしい。
彼は女性の隣に置かれたらしい。
彼はよくわからないが、
その存在はよく知っている。
居心地のいい空間の、包んでいた刻み。
優しい刻み。
こんなに離れていても、わかる。
『はじめまして。おかあさんですよ』
優しい声がする。
いつか聞いた覚えがある声だ。
居心地のいい世界の中、うっすらと聞こえた声。
とても苦しそうだ。でも、心が締め付けられるくらい、優しい。
おかあさんも、苦しかったのだ。
同じくらい、それ以上、ずっとずっと苦しかったのだ。
『ようこおかあさんですよ』
ようこ、そうか、おかあさんはようこというのか。
おかあさん、
おかあさんのなかで、ぼくはいっぱいいろんなことを、みました。
ちっちゃなせかいだったんですけれど、
ぼくにはそれがぜんぶでした。
だいすきなひとが、いっぱいいました。
だいすきなせかいでした。
やくそくもいっぱいしました。
みつけるって、やくそくしました。
おかあさん、うんでくれてありがとう。
ぼくはひとつのいのちになって、
この、おおきなせかいをあるきます。
そして、みんなをみつけます。
ぼくのなかで、つながったせかいのみんなを、
みつけます。
ありがとう、おかあさん。
いのちをくれて、ありがとう。
うみだしてくれて、ありがとう。
彼はお母さんの指を握った。
彼はゆっくりと眠りについた。