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隼人


絵師とシキは歩く。
あてもなく、斜陽街を歩く。
風が吹き、絵師の髪を揺らす。
糸目がちょっとしかめられる。
「なぁ」
シキが声をかける。
「はい」
「こういっちゃなんだが」
「なんでしょう?」
「何か、思い出してるんじゃないか?」
「俺がっすか?」
「うん」
シキはふよふよ飛ぶ。
「俺はそういうことに、ちょっと敏感なんだ」
「わかっちゃうものっすね」
絵師は微妙に微笑んだ。
「ずっとここで絵を描けたらいいなと、思ってたんすけど」
「帰り道を思い出したら、帰らなくちゃな」
「そうっすね」
絵師は斜陽街の空を見る。
多分絵師のいる世界とは、つながっていない空。
ここもまた、故郷と絵師は認めたから。
絵師としてではない自分の心の中に、
この不思議な町があればいいと、思った。
そう、元いた世界では絵師ではない。
でも、ここでは絵師として絵を描けた。
それで十分だと、思った。

「夢がかなったんすよ」
「夢、か」
「俺ずっと、絵師になりたかったんす」
「あんたは立派な絵師だよ」
「ありがとうっす」
斜陽街にやってきた絵師は微笑む。
糸目は何をうつしているのかわからないが、
きっときれいなものだろうとシキは思う。

「なぁ」
「はい?」
「名前、なんていうんだ?」
「名前」
「思い出してるんだろ?」
絵師はうなずいた。
「ハヤト。久我ハヤトといいます」
「ハヤトか、いい名前だな」
ハヤトは微笑んだ。
シキも笑った。
「また、会えたらいいな」
「そうっすね」
「まぁ、帰っても達者でやれよ」
「はい」
ハヤトは答える。
そして、シキとは別のほうに歩き出す。
「それじゃ、俺はここで」
「おう」
「ここは夢みたいな町でした」
「そうかもしれないな」
「シキさんも、お元気で」
「じゃあな、ハヤト」

風が吹く。
誰かが出て行った風が吹く。
そこにはもう、ハヤトはいない。
シキがふよふよ飛んだまま、たたずんでいた。

斜陽街から絵師は、こうしてもとの世界に帰っていった。


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