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これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
どこかの扉の向こうの世界の物語。

狼耳の青年は、
客を送り出した。
客はちょっとトリップした目をしていたけれど、
足取りにおかしなことはないし、
夢でも見ていたと、あとで思うだろう。

「オオカミさん」
客を送り出したそこに、声がかかる。
「ウサギか」
オオカミと呼ばれた青年は答える。
「もうお客さんが来ているんだね」
「飲んでくか?」
「うん」
ウサギと呼ばれた青年は、屈託なく答えた。

ウサギの外見は、
白いウサギ耳をつけた少し幼い顔をした青年。
こう見えて兎茶屋というお茶屋をしている。

オオカミはコーヒーを入れる。
豆を丁寧にひき、ドリップする。
静かに時間が流れていることを知る。
落ちてくる琥珀色の雫。
何度も繰り返される儀式のようなドリップ。

「平和だね」
ウサギはいう。
「ああ、そうだな」
オオカミは答える。
「平和ってさ」
「うん?」
「平和って、とても無駄な時間を使えると思うんだ」
「無駄、か」
オオカミはドリップしたコーヒーを、カップに注ぐ。
そして、ウサギに出す。
「どうも」
ウサギはくんくんと匂いをかいで、そっと一口飲む。
仕草がいちいち小動物じみているなと、
オオカミは思う。

「ねぇ、平和になるためには何が必要だと思う?」
「俺にはわからないな」
オオカミは答える。
本当にわからないのだ。
「祈ること、だよ」
ウサギは言ってから微笑み、
「多分、そういう祈りのもとに、無駄な平和があって…」
「あって?」
「無駄においしいコーヒーとかお茶ができるわけだよ」
ウサギの兎耳がぴくんと動く。
「本当においしいね、このコーヒー」

オオカミはなんと言っていいかわからない。
ただ、コーヒーがたどり着くまでに物語があって、
いくつもの物語の果てに無駄においしいものができる。
平和というものがそういうものならば、
祈りというものも、いいものかもしれないと思った。


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