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値段
斜陽街には浮浪者がいる。
誰かが落としたものを使って誰かになりきってしまう、
誰でもないものだ。
誰かが落としたもの、
物理的に落とし物だったり、
誰かの情報の痕跡だったりもする。
普通、そういったものには値段はない。
言葉に値段をつけるのが、難しいように。
ただ、そういう落とし物が、
金や価値や値段をこえて、
誰かになれるという、浮浪者の欲を満たす。
浮浪者は誰かになり、
浮浪者であったことを忘れる。
その時、誰かになっているのだから。
そういった落し物が値をつけて売買されているかというと、
そういったことは、とんと聞かない。
早いものからなのかもしれないし、
それとも、落とし物が浮浪者を呼ぶのかもしれないし、
案外、落とし物と浮浪者で、
値段はなくても需要と供給が一致しているのかもしれない。
誰かになりたい。
浮浪者の欲はその一つだけだ。
浮浪者には、自分という概念が薄すぎるらしく、
誰かというものにならないと、何もできないのかもしれない。
そして、落とし物から得た情報の誰かになったとしても、
それはまだ成り済ましの域を出ていなくて、
乗っ取るまで情報がないと、
浮浪者に逆戻りするのが、オチだ。
浮浪者は考えない。
浮浪者は渇望する。
誰かになりたい。
有象無象の値段のない言葉のようなものでなく、
価値あるものになりたい。
…などと考えているかどうかはともかく。
誰かになりたい欲だけで存在しているのが、浮浪者だ。
彼らはしゃべるのだろうか。
聞いたものは少ないのではないだろうか。
おそらく、借り物の言葉しか使えないのではないだろうか。
主義主張もなく、
彼らは誰かになりたいことを望む。
落とし物に値段がついていようがいまいが、
浮浪者にとっては、同じなのだ。
誰かになれるなら、それで、いい。