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認識


夜羽は、言珠を手に、
小さな旅に出た。
この言珠をあるべき場所に。
手がかりはそれだけ。
むしろ、それだけでいい。

扉をくぐったり、列車に乗ったり、
畦道を歩いたり、森を通ったり。
疲れるという概念が今のところないのは、
この旅は、疲れを知らない夢のようなものかもしれないと夜羽は思う。
言葉が言珠になるのも、
物語か夢の中のお話に近いものかもしれない。

そうして、いくつもの町や村やいろんなところを通り過ぎて、
ひとつ気が付いたこと。
それは、言珠が見える人と見えない人がいるらしい。
夜羽は、どういうことでそんなことになるのかを考えたが、
認識の違いかもしれないと思った。

言葉が、魂を持ったり、珠になったり、
そうでなくても言葉が何らかの価値を持つ可能性を考えにくい人には、
やっぱり言珠は見えにくいのかもしれない。
発する言葉が、自分の価値を下げていると、
認識できない人には、
言珠なんて、あってもなくても同じなのかもしれない。
きれいな言葉、あたりさわりのない言葉を使うだけでは、
多分言珠は見えない。
言葉は、生きている人自身の魂をまとって生まれる。
言葉にするのは本当に難しいけれど、
言葉にはたくさんの意味が込められて生まれている。
本当に言珠が見える人は、
何人いることだろう。
夜羽はそれを思うけれど、
言珠を皆に見せようとは思わない。
見えるべき時に見えればいい。
言珠を認識するとき。
それは、本当の言葉の使い方がわかった時かもしれない。

認識はあれこれある。
通り過ぎていく人は、
言珠など気が付かずに去ってしまう。
こんなにきれいなものがあるのに。
誰も、気が付かない。
無いと認識されれば、それまでなのだろう。

少しさびしいけれど、そうなのだろう。


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