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紙片
斜陽街二番街。レンタルビデオ屋。
店主が怖がりなのにホラーのビデオしか置かない、
そんなレンタルビデオ屋だ。
今日はレンタルビデオ屋に、
廃ビルに住んでいる、詩人が来ていた。
詩人は、いつも焦りながら詩を書いている。
時間に追いかけられているのか、
それとも別の理由なのか。
とにかくいつも焦っている。
彼らが共通するところは、
うまくは話せないというところ。
気の利いたことがうまく言えないと、彼ら自身は思っている。
例えばなぐさめだったり、
例えばほめ言葉だったり、
そんな言葉がとっさに出てこないと、
彼らはいつも思っている。
今日はレンタルビデオ屋の一角で、
彼らは茶を飲んでいる。
のんびりと茶をすすり、
ポツリポツリと最近のことを話す。
焦りもないし、気の利いたことをいう必要もない。
こういう時間を、彼らは気に入っている。
こういう時間だけじゃ生きていけないことも知っている。
だから、ここの言葉は、彼らにとって大切な言葉だ。
詩人はポケットからメモを取り出し、
思いついたことをメモしようとする。
それでも、ひらめいたことや、発した言葉が、
紙片に書こうというときには、
もう変質してしまっていて、
まったく違うものになってしまっている。
大切な時間を、たまには残しておきたいのに、
言葉は変わり続けていて、
少ない言葉すら残せない。
「こまりましたね」
「どうしました?」
「メモを取ろうとしたのですが、言葉が生きていて、メモにすら残りません」
「そうですか」
レンタルビデオ屋も、感覚はわかるらしい。
「楽しい時間のあった記録すら、残りませんね」
詩人は少し残念そうに。
「また、楽しい時間があればいいのですよ」
レンタルビデオ屋は言う。
「また、この店でお茶を飲みましょう。それでいいのです」
詩人はうなずく。
言葉が残っても残らなくても。
楽しい時間はあったのだから。