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雛鳥
これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
どこかの扉の向こうの世界の物語。
深い森の中。
いつも夜に近いような、暗い森。
家具屋入道は、椅子を両脇に抱えて、
行きつけの店を目指していた。
この森にある、茶屋と珈琲屋。
とりあえずは椅子を届けに茶屋まで。
暗い森を迷うこともなく、
家具屋入道はのっしのっしと歩く。
名もないこの森は、
眠りの底であるかのように静かで、
たまにオオカミの遠吠えが聞こえることもある。
幼子は眠れ。
雛鳥も眠れ。
ママが守ってくれているよ。
パパが守ってくれているよ。
家具屋入道は、遠くに明かりを認める。
兎茶屋の明かりだ。
珍しく店主のウサギが外に出ている。
「ご苦労様。新作あるから飲んでいってよ」
入道をねぎらい、椅子を一つ手にする。
入口の扉を開けると、
珈琲屋のオオカミもいた。
「よぉ」
「先客でござったか」
「新作の相談だよ」
オオカミが答える。
ウサギが椅子を置いて、カウンターの中に戻る。
「今度のイメージは、生まれる前、なんだ」
ウサギは茶葉のブレンドを始める。
「卵、雛鳥、言葉のない、白、平和」
言葉を紡ぎながら、ウサギはブレンドしていく。
「見えない空、雑音の向こう」
オオカミがイメージを足す。
「水の底、漂う、閉ざされている」
家具屋入道もイメージを足す。
ブレンドのプロの彼等には及ばないが。
ウサギは微笑んで、
「そのイメージもいいね」
と、茶葉を少量ブレンドする。
ブレンドされた茶葉は、
彼らの前でお湯を注がれ開かれる。
蒸らして茶葉が踊る。
生まれる前のイメージは、どんな味がするのか。
まだ誰も知らない、ブレンドのお茶。
きっと言葉を尽くしても表現できないだろう。
卵の中の雛鳥を思うように。
何も知らない、誰も思い出せない、
そして、言葉にできない、
生まれる前。