56
蛇
これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
どこかの扉の向こうの世界の物語。
野良狗の不可視の刀が叫ぶ。
天狐が短刀をもって駆ける。
面が存在を確認するため、
見えない野太刀で殺し合いをする。
幾度となくぶつかる金属の音。
その音は言葉の欠片となり、
闇に沈んでいく。
ヤジマは気配を感じた。
言葉にしがたい、
けれど、面の気配とは、かくあるものだろうという、
独特の気配。
その気配は闇の中を割り込み、
天狐と野良狗の間に、
二刀流で二人の刀を止める。
「まだ戦うべきではないですよ」
穏やかに面が話し出す。
声の質は青年。
二人の刀を止めた人影は、
顔を上げる。
その面は恐ろしい形相。
「般若?」
ヤジマが尋ねると、
「蛇ですよ」
と、蛇の面の青年は答える。
柔らかい声なのに、
どこか冷えている。
「二人とも。戦うのは今ではないですよ」
蛇がいさめる。
「だって、面が生きる理由は、戦いじゃないか」
天狐が反論する。
「今でないし、ここでないし、戦う相手ではないですよ」
「ちぇー」
天狐は残念そうに短刀を鞘に戻す。
野良狗も野太刀を鞘に戻し、
丁寧にヤジマたちの巻いてきた布を巻く。
夜の底で、面が生きている。
話をし、戦う。
「驚かれましたか?」
蛇がヤジマとキタザワに向く。
「ある程度の変なことには慣れてるよ」
ヤジマが答えると、蛇はクックックッと笑った。
面だから少しも顔は動かないが、
笑っているのはわかる。
言葉や呼吸、しぐさ雰囲気。
全部まとめて、ここでは面の生きざまなのだ。
「遅くなりましたが、届けていただいてありがとう」
蛇が野良狗の代わりに礼を言う。
「いや、それが仕事だからね」
ヤジマが答えると、
キタザワもうんうんとうなづく。
「戦うことは生きること」
蛇がそう言う。
「でも、戦わなくても生きられる生き方がわからないのですよ」
少しだけ夜の底の感覚が変わった。
ヤジマがそう思ったのは、
不可視の刀のか欠片が、
言葉になって闇を変えたのかもしれない。