箱物語(仮)53


ある日の夕方の待機室。

ルカは電子箱を見ている。
自分の過去の箱から記録を入れている。
不意にルカは何かを懐かしく思った。
記録として過去の箱に残るような残らないような、
微妙なもの。
なんだろうとルカは考える。
そうしてようやく気がつく。
カラットが口笛を吹いている。

ゆうやけこやけのあかとんぼ。

確か歌詞をつければそんなものかもしれない。
赤とんぼ云々より、
ルカは自分の過去の箱が、さざなみを立てたような感じがした。
過去の箱はそんな風にできていただろうか。
膨れたりいびつだったりはするけれど、
風が水面をなでるように、
硬質とさえ思えた水面が、
やわらかく羽を散らしたようにさざなみ立つ。
ルカはこの感覚を不思議だと思った。
解析すればただのへたくそな口笛だ。
記録の上ではそうなる。
けれど、過去の箱は人間から生えている以上、
きっと人間の、解析つかない部分があるのだろう。
魂とか何とかの域まで、
この口笛が届いているのかもしれない。
へたくそなのに懐かしくて、
ルカは昔を思い出すような気がした。

ルカの昔は、大体電子箱に保存してある。
仕事をするにあたっていらないと思っているし、
過去の箱が破裂したら仕事にならない。
だからルカは、最低限の記録だけを自分に入れている。
だからルカの今の過去の箱には、
ルカの昔はないはず。
なのに懐かしくて、
瞬間ルカの心はどこかへ行く。
見たことあるような川、
見たことあるような土手。
小さなルカは誰かと手をつないでいる。
時刻は夕焼けの頃。
西に美しい夕焼けが見える。
すれ違う誰かが口笛を吹いている。
あるはずのない記録。
ルカは永遠のような一瞬を感じる。

ジャスミンティーの置かれる音で、
ルカの心が現在に戻ってくる。
「お茶はいりましたよ」
ヤンがにっこり笑う。
ルカはうなずく。
いつものジャスミンティー。
いつもの香り。
あのどこかに心が飛んだ一瞬、
ジャスミンティーの香りはしなかった。
慣れ親しんだにおい。
それがないところに行っていた。
ルカはずっとそこにいたかった気がする。
チーム・パンドラの箱のルカとしてでなく、
一人のルカになりたかった気がする。

口笛が止んだ。
見ればカラットはあくびをしている。
もう一眠りするかと考えたのだろう。
「口笛、上手ですね」
ツヅキがカラットに声をかけた。
「少年時代の記録ってやつさ」
カラットは得意げに笑う。
「蛇が来るからと、口笛は吹くなといわれていました」
「古い言葉だなぁ」
「そうでしょうか」
「いまどき言わないぜ」
カラットは笑う。
ツヅキは難しい顔をする。
ヤンが微笑んだ。
「じゃ、ツヅキ、口笛の練習してみるか」
「え?」
「コツがつかめれば簡単だぜ」
カラットがひゅうと口笛を鳴らす。

ルカの過去の箱が、また、軽くさざなみを立てた。


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