箱物語(仮)61


ヤンは本屋にやってきていた。
本屋はいい。
ヤンの知らない世界が、
無造作に本として置いてあるのがいい。
ヤンの風体は、もっさりとした大男で、髪がちょっと長め。
清潔にしている所為か、
怪しいものには見えない。
でも、本屋の、文庫本の棚を、
うれしそうに見ているのは、
ほんのちょっとだけ、浮いている。
本屋がもともと、いろんな人が行きかいする場所だから、
ヤンの違和感は、すぐに解けてしまう。

ヤンは、文庫本に手を伸ばす。
文庫本に手を伸ばしたのに、あたたかい感触、
「ひゃっ!」
やわらかいと思うまもなく、
ヤンは手を引いた。
ヤンの見落としていた、隣に、女性。
「あ、すみません、その本」
女性は真っ赤になって、おろおろと何かを言っている。
「あの、その、本」
「これが?」
「あたしも、ずっとさがしていて」
「ああ、ならどうぞ」
「い、いいんですか?」
「うん、またよそで探します」
ヤンはやわらかく言うと、
手をかけていた本を取り出し、女性に渡す。
女性はおろおろとしている。
「あの、これ、一冊しか」
「そういうこともあります」
ヤンは微笑んだ。
動物園の覇気のない熊があくびをするような、
のんびりした微笑だ。
「これも何かの縁です。ぜひ読んでください」
「あ、ありがとうございます!」
女性はぺこりと頭を下げると、
そのままレジへとかけていった。

ヤンはぽりぽりと頭をかく。
女性の言うとおりなら、あちこち探してもない本だという。
「まぁ、そんなこともあります」
ヤンはのんびりつぶやき、
文庫本を物色した。

知らないことがたくさんあるということ。
知っていることが増えてしまうということ。
過去の箱がいっぱいになる危険をはらんでいるということ。
実は読書というのはスリリングなものなのかもしれない。

ヤンは一般の人が知らない、
過去の箱についてをしっている。
過去の箱が触れることで、縁が生じることも、
ずっと前にシジュウから聞いている。
ならばと思う。
いずれ縁があれば、
あの本に出会えるかもしれない。
あの女性はどうだろう。
どこかおろおろした女性。
手のぬくもりを一瞬感じた女性。
かわいい人だったなと、ヤンは記録する。

数日後。
結局本が見つからなかったヤンは、
読む前にカラットからネタバレに近いことを聞いて、
怒ったりしょんぼりしたのである。


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