箱物語(仮)68


「執念、ですかね」
ヤンがつぶやいたそれを、カラットの耳が拾った。
カラットは不思議そうにヤンを見て、
視線に気がついたヤンは、照れたように笑った。
「聞いてました?」
「しゅーねん?」
「ええ、執念です」
ヤンは電子箱を示す。
「多分、パンドラの箱は一冊の本に負けるんだと思います」
「なんで」
カラットは聞かずにはいられない。
そして、ヤンは答える。
「執念というものだと思うんです」

「確かにここで使われている機器は、最先端のものばかりです」
「まぁ、それは俺だってわかってるよ」
「外部に公表していない、システムだってあります」
「うん、プレートとか、いろいろな」
そこはカラットにでもわかる。
でも、
「執念で負けるんすか?」
「ええ」
カラットの問いに、ヤンは短く答える。
「本は、残そうという思い、伝えようという思いの、結晶のような気がするんです」
「それで執念?」
「ええ、そんなことを感じました」
ヤンは文庫本を手にする。
手になじんだ、ちょっとくたびれた本だ。
カラットが思う限り、
電子箱に入れれば、容量をちょっと食って終わる程度のものだ。
でも、そこには本にしかない、
伝える執念というものがあるらしい。

「執念、かぁ…」
「カラットさんは、本は?」
「ぜんぜん読まないっす、過去の箱に空きがなくなるのが怖くて」
「そうそういっぱいにはなりませんよ」
カラットも理屈ではわかっている。
でも、と、否定してしまう。
執念の固まった本というものが、
感覚記録ものっとって、
過去の箱を満たしていくかもしれないと。
こういうことを考えるのは、
多分ルカの影響だとカラットは勝手に思う。
ルカは記録を恐れている。
過去の箱が壊れるのをいくつも見ているから。
(因果な先輩に当たったものっすね)
カラットは、軽くため息をつく。

記録は敵でも味方でもなく。
記録は記録としてあり続けるだけ。
その中の、本というものは、
電子記録で済ませられない何らかの塊であると、
カラットはなんとなくであるが、感じる。
そして、それが魅力的でもあり、ちょっと怖い。

「文庫本でもいかがですか?」
「いや、いいっす」

カラットはまだ、
危ない魅力に乗れないでいる。


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