箱物語(仮)85
ヤンは土産物の栞を文庫本に挟んだ。
ジンベイザメの描かれた、金属製の栞だ。
何でも、友人が、水族館のすごいのにいってきて、
中でも、そこのジンベイザメに感動して買ったものらしい。
古い友人はそんなことを少ない言葉で語り、
土産だと、ヤンにこの栞を渡した。
感動。
古い友人はそう語った。
ヤンは思う。
記録を捕まえる、いないことにされている自分達も、
感動をしていいものだろうか。
感動は必要なものだろうか。
感動を記録していいものだろうか。
人でありたいとヤンは思う。
心揺り動かすことを忘れてはいけないと思い、
文庫本を少し読む。
けれど、それはこの仕事で邪魔になっていないだろうか。
そして考える。
この仕事をするには、人であるべきかないべきか。
考えるまでもない。
人でなければなんだというのだ。
考え、判断し、そして何より、
人を理解しないと記録は追えない。
過去の箱の記録が増えすぎると、
人は死ぬ。
でも、生きることは記録を増やすことに他ならない。
健全であっても不健全であっても、
重荷にもならない記録を増やしていって、
一歩一歩、人であり続けながら死に向かうに過ぎない。
電子箱に記録を移して、
この仕事が出来る時間を、生きている時間を少し増やすけれど、
ルカさんもそうだと思うけれど、
きっと、感動の核みたいなものは、この肉体に残っている。
揺さぶる記録。
単体では発動しにくい、
自分であるから何かを揺さぶる記録。
きっと、ジンベイザメに感動した友人も、
ジンベイザメだけじゃなく、いろいろと要因はあったのだろう。
言葉が少なくて伝わらない何か。
記録だけでない何か。
ヤンは夢想する。
文庫本の言葉の中を、ジンベイザメが泳ぐ。
それはきっと悠々としていて、
記録に踊らされる自分達を超越するかのような。
空を行く雲のような生き物。
言葉の海を、金属のジンベイザメが泳ぐ。
多分友人は、そういうものを見たんだと、
ヤンはなんとなく思う。